内的な焦土について ―心のうちで一度死んでしまうということ―

心もからだも、焼け野原になってしまい、ようやく呼吸をしながら、ひたすら寝床に横たわるやけぼっくいのような日々。ただ、最低限の生命活動を維持しているだけで、まるで人間的とはいえない生活。社会も世界も経済も文化も、おのれとは断ち切られている、あるいはすべてをずっとずっと遠くに陽炎のように感じる。好きだったはずの音楽を聴いてみても、たしかに空気は振動しているのだが、気持ちは虚ろ。本を読んでも集中力が続かず、数ページ読んだだけで息切れしてしまう。ぼくの、限りなく困難だった2013年。あれから、7年が経った。

7年前は、毎日、死にたいと思っていた。外出する機会があると、自然と死に場所を探してしまった。よく通っていた整体院が初台のビルの13階にあり、そこの非常階段を見るたびに、ここから飛び降りたら上手く死ねるかもしれない、と思った。妻に疎まれて、実家に帰ると近所の踏切が、ぼくを手招きしているように見えた。それでもけっきょく死ぬことはできなかった。死ぬことが怖いのではなく、死ぬ過程の痛みや苦しみが恐ろしく、そのうえ、もし自殺に失敗して生き残ってしまったらどんなに辛いかと考えると自殺に踏み切れなかった。古い付き合いの親友にはLINEで頻繁に「死にたいよ」とメッセージを送っていたと最近聞いた。本当に本当に、彼には迷惑をかけたと思う。しかし、そうせざるを得なかった。一日に何度も死ぬことを考えたのは、2008年に発病したうつ病が、実は回復の兆しにあったその5年後だったのだ。

 

うつ病を患ったかたにはわかっていただけるかもしれないが、この病気はもちろん四六時中憂鬱で、それが苦痛で、時々刻々と責め苦に遭い続けているようなつらさもあるのだが、実は回復期の初めにある無気力感(意欲の消滅)もまたおそろしくつらい病気である。ぼくは憂鬱な気持ちがやや後退した2013年が、本当につらかった。感情的な重しがほのかに軽くなり、やや客観的に自分を捉えられるようになる。これは、漸進なのだが。

基本的には抑うつ的な気分のうえに、何もしたくない、呼吸をするのもやめてしまいたい、ソフトにいえばただちに消えてしまいたい、直接的にいえば、死んでしまいたい、という強烈な気持ちに断続的に支配され、そのような日々が毎日果てしなく続く。いや、それに終わりはあるのかもしれないが、苦しみに満ちたその日その日が永遠に続くように―いずれ死を迎える時まで―思えてならなかったのだ。そんなとき、ぼくは救われたいと考えた。そして、マクグラスが書いた『キリスト教神学入門』を読んで、救済について知りたいと思った。

救済という宗教的な概念は、キリスト教に限らず、あらゆる宗教に存在するが、ぼくのなかでは救済のイメージはキリスト教に繋がっていた。そこで、読むしかないと決意して、毎日少しずつ読んでいった。読むのは大変だった。集中力が持続しないのに、2段組みで780ページの本を読む気によくなったものだと思う。必死だったのだ。

読んでいる途中で、はたと気づいたが、救済は堅く継続的な信仰によってもたらされる。そこで思ったのは、ぼくは神や仏などの超越的な存在を信じて、それらからの恵みを求め続けて生きていくことはできないということ。自分がどんなに酷薄で困難な環境におかれていても、信仰に生きることはできないと直感してしまった。病苦や貧困から信仰の道に入る人は、有史以前から無数にいただろう。彼らの気持ちも半分は分かる。でもぼくはそちらへはジャンプできないと確信した。キルケゴールがいうように、神(要するに、人知を超えた存在)を信じるには最終的には"跳躍"が必要なのだ。ぼくは跳べない、と思った。そして、2010年に再読したハイデガーの『存在と時間』に導かれて足を踏み入れた、哲学という野道で歩をかためていくしかない、おのれの思索を鍛えて、荒野をよたよたとすすんでいくための杖にするしかないと思い至ったのだ。

哲学と宗教の大きな違いは、キルケゴールの思想によく現われている。彼は非常に熱心なプロテスタント教徒であり、ヘーゲルに大きな影響を受け、自身の哲学を実践した。哲学はあくまでも自己を手放さない、そして自分の頭で考え抜くことを課す営みなのだ。プラトン以来の弁証法もその方途のひとつである。対して、宗教は、その教義においては哲学などからの影響もあり、論理で構築していく部分もとくに近代以降かなりあるわけだが、超自然的な奇跡がそのうちにビルトインされているので、すべてがロジカルなわけではない。教義を知ることもむろん大切なのだが、それ以上に超越的存在を信じ続けることが最も肝要なのだ。それを、キルケゴールは"跳躍"と術語化したわけだ。実に分かりやすい用語だと思う。

先述したようにマクグラスの『キリスト教神学入門』は浩瀚な書だった。それをすぐにエンストしてしまう脳みそをつかって、一日一日一歩一歩読み進めていく。読み進めるのに、とても長い時間がかかったことはいうまでもない。気づくと1年以上が経っていた。そうすると、ずいぶんと自分の症状も変わっていた。そしてなんと、心のうちに音楽についての関心が蘇ってきたのだ。故・シム・ヒョジョンさんが主宰していたBuncademyという音楽スクールで、作曲家の近藤譲さんが音楽書の原書講読講座をひらくことをFacebookで知り、月に2回、東横線学芸大学駅に通う日々が始まった。友人のSさんからの勧めもあり、テストの採点アルバイトも不定期ながら始まった。2014年はそんなふうに、少しずつ少しずつこの世へ復帰してくる一年になった。その前年とは暮らしぶりはずいぶんと変わった。残念ながら妻との関係は悪化の一途を辿り、翌年から完全に別居することになるのだけれど。


内的な焦土から、なぜ音楽への好奇心が再び芽生えたのか。その理由は分からない。毎日薬を飲んで、ずっと安静にして暮らしていたことで、おのれの内的な自然回復力によって、脳の機能が賦活されたからだろうとぼくは推測している。しかし、ぼくは結果的には幸運だったとしかいいようがない。うつ病に限っていっても、その病が回復するのに要する時間は個人によって大きく違う。ぼくは罹患して6年目くらいから好転していったわけだが、それが10年20年とかかる人もいる。もちろん、重篤な状態のまま、老齢を迎える患者もいる。そういう人は、本当に長い時間、心の焼け野原を抱えたまま、息をすることになるのだ。その甚大で深い苦しみは、想像に余りあるといって差し支えないだろう。それは、その人の存在そのものが不断なく侵される、残酷すぎる痛みなのだから。やや文学的にたとえれば、魂への火炎放射が常時行われ、その人の精神が持続的な地獄となる。そういう感じなのだ。

いま新型コロナウィルスが全世界に広まったことで、多くの人が生活への不安と感染の恐怖、そしてわずかな死の予感に襲われている。こういうとき、一度内的に死んで、焦土から(なぜか)生を取り戻してしまった人間は強い。けれども、それは誇らしいことでもなんでもない。偶然そうなっただけなのだ。辛酸を舐め続け、半分死人となる酸鼻をきわめた人生など他の誰にも薦められない。そして、一度も(内的に)死んでいない人にも、その人なりの地獄があるともぼくは思っている。なぜなら、その人はすでにつねに、今もまさに"ここ"で生き続けているのだから。生き続けている限り、程度の差こそあれ、みな死線を潜り抜け、その人なりの地獄を通り抜けて、墓石の下へとたどり着くのだ。これが、この世界の真理の一端ではないだろうか。ぼくはそう考えながら生きているのである。

重たい話でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

7冊の思い出の本を紹介する 第1回 長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑』

いま、コロナショックに激しく揺れる巷では、好きな本を1日1冊、7日間投稿する「7日間ブックカバーチャレンジ」というバトンが流行っています。ぼくも、とある古い友人からバトンを受け取ってくれないかと打診を受けました。篤実で温厚な性格の友人には無慈悲なようですが、お断りしました。このバトンのルールには賛同できないからです。

読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ!なのに...

・毎日、本の説明はしないで本の表紙だけを投稿
・毎日、一人の友人にバトンを渡す

という無神経きわまる2つのルールがあるのです。
前者については「あなた、自分のことばで愛書の魅力を語らずに本の表紙だけで「読書文化の普及に貢献」できると思っているんですか?ずいぶんと無精なんですね」と思いますし、後者は論外です。チェインメールと一緒ですからね。
発案者の脳天気さには呆れますが、遊びと思って、ぼくも「7冊の思い出の本を紹介する」と改案してやってみます。

まず1冊目です。長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑』(1994年、データイースト)です。

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購入した書店は覚えていません。でも、中学2年か3年のときに新刊で買ったことは覚えています。著者の長谷邦夫さんは紹介するまでもないですが、1937年生まれ。赤塚不二夫さんのプロダクションで彼のマンガ作品のブレインとして長年尽力された方です。ご本人も、有名作のパロディマンガ―『バカ式』や『ルパン二世』など―を発表されていました。

この本が発刊された頃の背景に軽く触れると、飛鳥新社が出した『磯野家の謎』(1992年)のヒット以降、マンガなどの登場人物や設定などを深読みして愉しむいわゆる"謎本"ブームがありました。当時、データイースト社は柳の下のドジョウを何匹も狙い、便乗本『サザエさんの秘密』を出したあと、かなりの数の謎本を出版していた印象があります。そんなあぶく銭をもって、この本の企画も立てられたのだと推察します。

本書の内容は、日本のマンガ家のデータブックです。長谷さんが選んだ江戸時代以降の約500人のマンガ家のなまえ、略歴、代表作などが、彼の思い入れも含めて五十音順でまとめられています。マンガ家のなまえの上には、ジャンル分類マークが記されています。ジャンルは、江戸漫画、政治・風俗マンガ、ギャグ・ナンセンスマンガ、ストーリイ(ママ)マンガ、少女マンガ、レディス・コミック、同人誌マンガの7つです。94年3月刊行の時点―ということは製作は前年でしょう―で同人誌作家にまで目を配っているところはさすが長谷さんですね。ちなみにあ行は相原コージからはじまり、わ行はわち・さんぺいで終わっています。また、それらのデータの間に息抜きとしてとても短いコラムが53編収録されています。まえがきを読む限りでは、単なるデータブックではなく、読み物として楽しめるように工夫したようです。

1994年頃の商用インターネットはまだ一般的ではありませんでしたから、ウィキペディアのようなサービスもありませんでした。中学生のぼくは夢中になって、あ行からわ行まで読みました。コラムも含めてかなり面白かったという記憶があります。小遣いも限られていましたし、マンガそのものをたくさん読むことも難しかったので、こういうデータベースのような本を読んで欲望を満たしていたのだと思います。最後に読み返したのは、高校生のころで、山本直樹先生の作品を読むようになり、彼の略歴を確認した覚えがあります。約四半世紀経ったいま読み返してみたら、いったいどう感じるだろうか。興味深いところです。

現在は新刊(定価1500円)では手に入りませんが、古書ではわりと安価に手に入ります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4887181965
長谷邦夫のマンガ作品は読んだことはあるが、文章仕事については触れたことがなかった、というような方にはおすすめです。

それでは、きょうはこのへんで。
また次回の「7冊の思い出の本を紹介する」でお会いしましょう!

4月前半に観た/観直した映画12本の感想まとめ

  1. 4月1日、大島渚監督『東京战争戦後秘話』(1970年)を観た。1969年4月28日以降の東京を舞台に映画の制作を通じて闘争する男=元木の心象風景が描かれる。闘争は行き詰まり、元木は自殺するが明らかに当時の大島監督の内面が投影されている。音楽は武満徹。主演女優の岩崎恵美子はおそらくアングラ演劇から引っ張ってきたのではないか。美人ではないが、存在感があってとても良い。

  2. 同日、ケント・ジョーンズ監督『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年)を観た。素晴らしい!80分という短さだが非常に濃密で面白くしかも無駄が無い。後半では『めまい』と『サイコ』を熱心に評するスコセッシが印象的。ヒッチコック作品には秩序があり、そして恐怖が美的に描かれる。ヒッチコックファンにお薦め!

  3. 4月3日、ハワード・ホークス監督『三つ数えろ』(1946年)を観た。チャンドラーの『大いなる眠り』を映画化して名高いがプロットが極度に複雑すぎて理解できなかった。脚本にはフォークナーも加わっているがどの程度関与したのか気になる。セリフ回しがいちいち痺れるが、構成は冗長で破綻しているといっていい。いずれ原作を読んでみたい。

  4. 4月4日、マイケル・カーティス監督『カサブランカ』(1942年)を観た。舞台はヴィシー政府支配下の仏領モロッコ。製作当時の時局を反映した自由フランス&アメリカ=連合国の正義を鼓舞する、反ナチ的かつ愛国的な映画。回想シーンでボガートとパリで恋に落ちた瞬間を演じるバーグマンの表情が生き生きとして美しい。

  5. 同日、パー・フライ監督『ストックホルムでワルツを』(原題 Monica Z/2013年)を観た。スウェーデンの田舎町でシングルマザーとして娘を育てながら父との確執に悩みながらも最終的にNYでビル・エヴァンスと共演を果たすまでの歌手モニカ・ゼタールンドの半生を描く評伝的作品。娘役の女の子が可愛かった。

  6. 4月6日、押井守監督『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)を観直した。高校時代にレンタルのVHSで観た以来だったので内容はすっかり忘れていたが、二二六事件と三島由紀夫に対するオマージュ(と同時にそれらに対する批評でもある)を感じた。荒川茂樹の造型モデルは明らかにサルトルだと思う。

  7. 4月7日、大友克洋総監督『MEMORIES』(1995年)を観直した。大変面白かった!!公開当時、父と二人で池袋の映画館で観た以来だったのだが、「彼女の想いで」は作画と演出が素晴らしいし、「最臭兵器」は脚本と音楽が素晴らしく大笑いしながら観た。観たあと晴れ晴れとした気持ちになれるのでお薦めです!

  8. 4月8日、ボブ・フォッシー監督『オール・ザット・ジャズ』(1979年)を観た。傑作!!ブロードウェイミュージカルの監督として八面六臂の活躍を続ける主人公は、虚無と孤独の人だった。彼は酒とタバコと覚醒剤、女に溺れ過労で倒れる。その死にゆく内面を現代ミュージカルで表現していく70分過ぎからは目が離せない!

  9. 同日、グレッグ"フレディー"カマリエ監督『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』(2013年)を観た。米国大衆音楽史のファンキーを支えたヘッドアレンジ集団がいかに生まれたかを、リック・ホールの設立した録音スタジオFAMEとそこから分かれたマッスルショールズサウンドスタジオの面々の証言を中心に描く。

  10. 4月10日、マーク・サンドリッチ監督『スイング・ホテル』(1942年)を観た。アステアとクロスビーがマージョリー・レイノルズを取り合う三角関係のプロットを軸に、歌とダンス、アーヴィン・バーリンのスイング音楽を堪能できる娯楽作。戦時下の製作なので自由を勝ち取ることの素晴らしさが賞賛されるのはご愛敬。

  11. 4月11日、島耕二監督『銀座カンカン娘』(1949年)を観た。高峰秀子笠置シヅ子灰田勝彦、岸井明、浦辺粂子そして全盛期の五代目志ん生らが出演する喜劇調ミュージカル風の作品。銀座で灰田がチンピラに殴られるシーンの背景が48年公開『鉄のカーテン』のポスターで印象に残る。とにかく若かりし時分のデコちゃんがかわいい。

  12. 4月14日、大林宣彦監督『異人たちとの夏』(1988年)を観た。浅草は異界への入口。そこで風間杜夫は28年前に事故死した両親に再会。また離婚して妻子と別れ別居していたマンションで謎の若い女と出会い恋仲になる。『雨月物語』的な現代の怪異譚。ラストの陳腐な展開を除くと、とても良くできたプロットで引き込まれた。ぼくが監督だったら最後は風間杜夫を死なせるが、商業映画では無理でしょうね。

まるで街が死んだような日

毎月一度、品川のとある精神科に通っています。もう11年経ちます。きょうは、採血と採尿のため、朝9時ころに起きて朝食を摂らずに、コップで水を飲んだ後すぐに着替えて家を出ました。西武新宿線高田馬場まで出て、そこからJR山手線に乗り換え、品川まではおよそ80分ほど。山手線は緊急事態宣言が出て初めての土曜の朝ということもあってか、ふつうに座席に腰掛けられました。つり革につかまって立っている人は、ほぼいません。

駅に停車しても乗り降りがほとんどありません。新宿や渋谷では多少ありましたが、それにしても少ない。各駅の構内放送がやけに耳障りに響きます。おそらく混雑を想定した音量設定なのでしょうが、人混みが発生しないので物音も少なく、ひと気のほとんどないぶん、音の反響のしかたがいつもと違うのだと思います。人や物で溢れていると音は吸収されるので、いつもであればたいして気にならない構内放送をずっと気にしながら、電車内では村上春樹の紀行文を読んでいました。

 

ようやく品川に着きましたが、まるでどこかの地方駅に降りたような感覚で、人混みのなかにじぶんの動線を見つける必要がありません。どこへでもすいすい移動できます。なにしろ人がほとんどいないのですから。品川駅に通って10年以上経ちますが、こんな経験はもちろん初めてでした。駅前も人影がまばらでしたが、病院の待合室はいつも通りに混雑していました。採決と採尿はすぐに済みましたが、1時間強待って、ようやく診察。主治医とはすこし長く話し込んでしまいました。

先生の話では、すでに通院されている方のなかには精神状態が悪化して、外出ができなくなっているひともいるとのこと。緊急事態宣言が長引けば、一般の人のなかにもアルコール依存症うつ病になる人が多数出てくること、自殺者も増えることを懸念されていました。その話を伺いながら厚生労働省精神科医療におけるコロナ対策のガイドラインを早急に作成し公開してほしいと思いました。おそらく東日本大震災のときに得た教訓が役立つでしょうが、対応が遅れると、全国の精神科医療も逼迫し、崩壊する危険性も高まるのではないでしょうか。

帰りは、高田馬場の街の様子を知りたくて、電車の乗り換えのタイミングでJRの改札を出て駅の周りをすこし歩いてみました。店を開けていたのは、ラーメン屋、ケータイショップ、コンビニエンスストアくらいで、多くの店はシャッターを下ろし臨時休業の張り紙がありました。バスは駅前のロータリーに入ってきましたが、乗り降りする人も少ないです。なぜか路上でバイオリンを弾いている若い男がいましたが、立ち止まる人は誰もいません。天気は良く、空も青いのに、愉しい賑わいのまったく無い高田馬場の街は、まるで重篤の病人のような顔をしていました。

おそらく今後本邦のコロナウィルスの感染防止対策は、外出制限を中長期的に継続しながら、検査+隔離を行い、外出制限を再度行う、そのくりかえしで進んでゆくのではないかと思います。そして、それは2-3年続いていくのではないかとぼくはみています。ワクチンが見事開発され量産されたとしても、そのあいだにウィルスそのものが変異し、強毒化し感染力も強くなった場合は―あまり考えたくないことですが―4-5年、いやそれ以上このウィルスに悩まされることになるかもしれません。そのとき、東京の街々はいったいどうなっているのか。そして、日本各地の盛り場は本当に死に絶えたようになってしまうかもしれません。

いま来るべき将来について考えることは、現在のぼくたちの想像力をはるかに超えているのは確かです。その困難のなかでも、誰もがなんらかの方途でもって、一人でも多く生き延びてくれることを祈らずにはいられません。ぼく自身もその端くれになんとか連なれるように、不穏な日々を比較的賢明に踊り続けてゆきたいです。

ためしに遺書を書いてみた(2020年4月版)*注意* 余命2週間でも、自殺するわけでもありません

親愛なるみなさんへ

 

このたび、大変残念ですが、余命2週間と主治医から診断されました。まだフッサールもカントもプラトンもほとんど読めていないので、この世からお別れするのは非常に悔しいのですが、そもそも永遠に生きることはできない相談ですので、比較的意識も明瞭なうちにいまの思いを書いておきます。

 

TwitterなどのSNSで親しく接してくださった方々、どうもありがとうございました。とても楽しかったです。時には失礼なこと・不快なことも申し上げたと思います。その点については申し訳ありません。ぼくが死出の旅に出たあとも、当面混迷の乱世が続くようですが、いつも自分の見ている液晶画面のむこうには、自分と同じ血の通った人が画面を見つめているのだと肝に銘じつつ、比較的心和むインターネットライフを送って頂きたいと念じて止みません。

SNSではもとより、オフラインの世界で交友を続けてくださった友人・知人のみなさん、長い間の友情に感謝しています。いささか性格に難のあるぼくにいつも親切にしてくださったことはぼくの心に深く刻まれています。みなさんが生きていくうえで、これからもたくさんの困難が待ち受けていると思います。時には徹底的に打ちひしがれ、天を仰ぐことすらできない苦難を感じるときもあるでしょう。それがある程度の長さ続けば、死んでしまおうかと悩むこともあるかと思います。でも、ぼくはみなさんにはなるべく生き延びてほしいと願っています。それがどんなに困難に満ちたものであっても、自殺すると周りの人がわりと。場合によってはかなり長い時間、苦悩し続けることになります。もちろんそんなことをいっても、自殺を選ぶ人もいるとは思うのですが、つらくてつらくて大変でも、たまには笑って、長い人生をなんとか、どうにかして生き延びていってください。これがぼくからの身勝手きわまるお願いです。

SBS読書会に参加してくださったみなさんにはとくにこの場で深く感謝します。2010年から始まったぼくの読書会に集ってくださったみなさんと、同じ本を読み、感想を語り合い、多面的な観点から議論することができたのでは、ぼくにとって何よりの喜びであり、人生におけるささやかな救いでもありました。皆さんの機知と、変わらぬ読書への熱心さをいっそう高めて、引き続き読書会を続けていってもらえれば、ぼくにとってこれほどうれしいことはありません。いつかきっと終わってしまう営みだとは思いますが、これからもSBSをどうぞよろしくお願いします。

最後に、父さん母さんへ。文字通り不肖の息子で、多大な苦労をかけましたね。お疲れさまでした。ぼくもまったく本意ではないのですが、先にお墓に入ることになってしまいました。正直悔しいです。父さん母さんも、とてもつらくて、悔しいと思います。その思いも、じきに分かち合えなくなってしまうことは本当に心苦しいのですが、ひどいつらさは時間がある程度解決してくれます。もちろん39歳の息子を失ってしまった悲嘆が霧消することはけっしてないでしょう。ずっとずっと悲しいでしょう。でも、人がいつ死んでしまうかはどうしようもないことです。ですから、ぼくのことをたまには思い出しながら、できれば穏やかで静かな老後をゆっくりと歩んでいってください。葬式はできるだけ簡素なかたちでお願いします。なるべく音楽をかけてほしいので、かけてもらえるか分かりませんが、選曲表を別途添付します。ふたりともつらくてたまらないので音楽どころではないと推察しています。けれど、申し訳ないのですが、ほんとうに最後の、最期のぼくのわがままですので、どうかよろしくお願いします。長いあいだお世話になりました。くれぐれもからだに気を付けてくださいね。それでは、さようなら。

2020年4月
さえきかずひこ 記

40回目のエイプリルフール

2020年の4月1日を迎えた。新年度というやつだ。新年度になり、ぼくは無職になった。先月はわれながらよく働いたと思う。しかし1か月の短期契約の派遣労働だったから、また職探しをせねばならない。そんなことを考えながら納豆ご飯を食べる。ぼくは毎朝必ず納豆ご飯とみそ汁を食べる。生卵があれば生卵を納豆に加える。ねぎやカツオブシ、海苔もあるといっそうよろしい。

 

8時過ぎに起きたので午前中が長い。食後はベッドのうえでスマフォゲームに興じる。しかしそれも1時間くらいすると飽きてしまう。ゲームはやめて思い切って台所に行き、早めに昼食を作ることにした。焼きそばだ。ちょっと柔らかめのどちらかというと蒸しそばになってしまったが、やさしい味に仕上がった。両親が満足そうに食べていたのでよしとしよう。

 

昼食後は自室に戻って、ひとやすみする。ぼくはヘヴィスモーカーなので、食後に熱いコーヒーとたばこが欠かせない。時代遅れの習慣だが、カフェインとニコチンによって慰安を得ていることは否定できない。単なる薬理的な依存ではなくて、これは精神的な依存だし、行為依存でもある。そういったことはすべて分かっているが、コーヒーとたばこを絶とうとは思わない。外の喫茶店で読書に励むときもこの二つは必須だ。といってもこれからは喫茶店でたばこが吸えなくなるかもしれない…。ぼくにとってはますます生きにくくなるので大変迷惑な話だが、たばこを吸っているだけで白い目で見られることも多い昨今、仕方が無いという思いも半分くらいある。

 

一服し終わったあと、また階下に降りて風呂掃除をする。浴槽と浴室のタイルを念入りに洗う。いま住んでいる実家は両親が15年ほど前に建てかえたものだが、浴槽が広くて足を伸ばして入浴できる点はとても気に入っている。ぼくは胴が長く、身長も177cmあるので、なかなか足を完全に伸ばして入浴できる浴槽はすくないのだ。とくに仕事から帰ってくると、ほとんど一日中座業のため、脚がむくんでいる。それをゆっくり熱い湯のなかでもみほぐすのが至福のときだといえるだろう。

風呂掃除をしたあと、母が車を出してくれたので隣町のグリーンガーデンへ行く。ここはショッピングセンターのようなもので、ぼくの目当ては100円ショップだ。がらがらの店舗に入り、事務用品の棚からA4(角形2号)のクラフト封筒を買う。税込みで110円。しかし、13枚も入っている。5枚くらいでいいので60円で売ってほしいと思うが、黙ってレジで精算する。レジのおばさんもマスクをしていて客も少ないのでだるそうに接客される。仕事にはある程度の忙しさとリズムが重要だと思いつつ、隣のドラッグストアに行き、歯ブラシを買う。外は小雨が降っているが、じき止むだろうと思い、傘を差さずに母とは別れてグリーンガーデンを出る。

家に帰ってから、U-NEXTの無料トライアル(1か月)に加入したので、映画を観る。まず、大島渚監督『東京战争戦後秘話』(1970年)である。この作品の脚本には個人映画作家原将人が本名の原正孝名義で参加していることもあり、20年ほど「いつか観たい」と思っていたのだ。撮影監督の腕がよいらしく、モノクロの映像がとても美しい作品だった。また、ヒロインが決して美人ではないが雰囲気があって魅力的に映っていた。もしかしたら、撮影監督と交際していたかもしれない、と妄想しつつ楽しんだ。

早めに入浴し、夕食のあとは、ケント・ジョーンズ監督『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年)を観た。80分余りの短篇だが、無駄なカットが1つも無い。同名の書籍についての有名映画監督たちのインタビューを交えながら、ヒッチコック映画の魅力を的確に評していた。内容についてはここには詳しく書かないけれど、ヒッチコックファンであれば心から愉しめるだろう。というわけで映画を2本観たので、わりと目が疲れてしまって午前1時過ぎにはベッドに入って寝た。そんな40回目のエイプリルフール。ぼくが今年の9月で40歳になるなんて、冗談のような気がするが、それが現実だ。すこしは世渡りのスキルを向上させたいものである。

自分の読書会にオンライン参加してみたこと

2010年10月末から、友人の東間嶺(とうま れい)くんとふたりで新宿文藝シンジケートという読書会を始めました。3/28(土)はその108回目の読書会で、課題図書は矢島道子さん(古生物学者科学史家)の『地質学者ナウマン伝』(朝日選書)でした。ぼくは家庭の事情で、参加者のスマフォを通じてLINEの無料通話サービスを利用し参加することになりました。自分の読書会はどんなに体調が悪くても休むことはなかったけれど、同居している母が毎週高齢の祖母の家に通っているので、祖母への新型コロナウィルスの感染を避けるため、会場である路地と人(水道橋)へ行くのはあきらめました。

 

LINEの無料通話サービスは音声が意外と安定していて、無料としてはじゅうぶんなクオリティだと感じました。ぼくは素人ですが、コロナウィルスの流行とその影響は3-4年とみていて、多くの人が思っている以上に長期戦になると考えています。もちろん1日でも早く流行が収まってくれればいいのですが、ウィルスは人体内で変異を起こす可能性が高いですし、この感染力の高さからいって、より悪質に変異すると考えておいた方がよいように思うのです。そうすると、より厳しい生活態度を継続的に求められることになります。週末の外出自粛というレベルではなく、緊急事態が宣言され、東京が一定期間"封鎖"された場合、都内に場所を借りて、そこにみなで集まり、読書会を開くということはできなくなるでしょう。

約10年間続けてきてもはやライフワークのようになっているので、LINEやそのほかのSNSなどを利用し、オンライン読書会を連続的に行うことを視野に入れて、今後の運営について検討していく必要が生じています。ぼくは、ひとつの場に集まって、その人その人の"声"に耳をすますことは、とても大切で、有り難いことだと考えています。読書会で同じ時間と空間をともに分かち合うことは、きわめてささやかなことですけれど、大きな愉しみですし、生きていくうえで欠かせないものだと感じています。ちょっとのめりこみすぎでは、と思われてしまうかもしれませんけどね。

コロナウィルスの影響が長期化すると、生活のあらゆる分野でオンライン化が加速度的に進むでしょう。オンライン読書会だけでなく、オンライン飲み会、オンライン合コン、オンライン面接、チャット・メール・ビデオ会議などを中心とするテレワーク...。そうすると世界中にあるサーバーコンピューターやネットワーク機器に対する負荷も非常に大きくなり、膨大なデータがネット空間を占有することになります。そのことでサービスがダウンしたり、遅延したりするケースも増加すると思うのです。そのことを踏まえると、なるべく参加者に、またインターネット全体への負荷がかからないように、レジュメは電子ファイルをGoogleドライブなどにあらかじめアップロードし、音声サービスを中心に活用し読書会を続けていくのが妥当な線です。オンライン読書会はデメリットもありますが、メリットもあると思うので、これを契機に自分たちの楽しいいとなみのもうひとつのあり方を試行錯誤してみるのもよいことなのかもしれません。