2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

5-3 「純愛」の理念と現実(132〜134)

筆者は森永卓郎による「近代的な恋愛の理念」=「オンリーユー・フォーエバー症候群」を紹介し、「ただ一人の相手を、死ぬまで愛しつづける、という理念であり、言い換えれば「純愛」の理念である」と解説したのち、「実現はある種の困難を伴うものであ」る…

5-2 「妻」の機能と「妾」の機能(129〜132)

筆者は石原千秋の「三千代との「愛」が燃え上がってゆく過程を描いたはずのこの小説(注『それから』)で、代助がたびたび藝者遊びをしていることがそれとなく描かれている」という指摘を確認する。石原の「代助が藝者を抱きながら「幻の三千代」を抱いてい…

5-1「正妻」と「妾」の違い(126〜129)

筆者は夏目漱石『それから』を引き、「現代の感覚からすれば、「妾」の機能は「妻」と変わらない。ならば、妾として置くような女性があるなら、その女性と結婚すればいいではないか、というのが現代の通常の感覚である」と述べた後、「「正妻」と「妾」の間…

概要:第五回 妾の存在意義―愛人論(該当ページ:126〜144、但しこれより後のカッコ内の数字は引用先のページ数をさす)

読書会:第1回 小谷野敦『もてない男―恋愛論を超えて』(1998年、ちくま新書)その5

風邪引いて寝込んでいました。明日より更新再開する予定です。

4-5 妬ましくて寂しくて友だちもいない(113〜122)

筆者は「二十年ほど前」の梅原猛の「「何が悲しゅうて、何がうらめしゅうて、こんなに書いたのかねえ。私は、人生への恨みをエネルギーにしてものを書いているんですよ。夏目漱石も、太宰治も、そうじゃないですか」というような」発言を引き合いに出して、…

4-4 「エリート・フェミニスト」と「男フェミニスト」への不快感(110〜112)

筆者は黒人フェミニストのベル・フックスの発言に好意を示す。というのは、「彼女の「ブラック・フェミニズム」は、従来のフェミニズムが、白人中流階級を中心とした「エリート・フェミニズム」であることを告発」しているからである。また、日本でも「「ウ…

4-3 もてる女の「エリート・フェミニズム」(108〜110)

筆者は島崎今日子『女学者丁々発止!』(学陽書房)を読み、「「フェミニスト」を名乗る人たちが、けっこう美人で、恋愛も結婚もちゃんとしている」のに驚く。そして、男にもてた(注 一般的な「もてる」)「近代日本最初のフェミニストとも言うべき平塚らい…

4-2 「もてない男」論への反響への返答(106〜108、110〜111)

筆者は『男であることの困難』で「「もてない男」を弱者として提示した」のは「フェミニズムに対する一種の攪乱戦法だった」とし、その動機として前述した「法界悋気」があったことを述べる。そして、「もてない男」論への反響として以下の4つをあげている。…

4-1 「法界悋気」が渦巻く筆者(104-105)

筆者は「ああ、妬ましい。悔しい。どいつもこいつもいちゃいちゃしやがって。爆弾でも投げてやろうか」「こんなに女にもてなくて振られてばっかりいるんなら、なんで苦労してあんなに勉強したんだ」と自棄を起こし、「私の中にぐるぐると」「自分とは直接関…

概要:第四回 てめえらばっかりいい思いしやがって―嫉妬・孤独論(該当ページ:104〜122、但しこれより後のカッコ内の数字は引用先のページ数をさす)

読書会:第1回 小谷野敦『もてない男―恋愛論を超えて』(1998年、ちくま新書)その4

2004年 ノンジャンルベスト5 総評と展望

遅くなりましたが、更新しました。よろしければごらんください。

青山南 / ネットと戦争(岩波新書)

筆者がネットと出会ったときの驚きとよろこびから始まり、2001年の合衆国同時多発テロ以降に主に米国のウェブサイトで見たり読んだりした記事について書いている。特に同事件を契機に広がった米国の詩人たちのウェブでの活動やお気に入りなウェブマガジンの…

切通理作 / 宮崎駿の〈世界〉(ちくま新書)

あんまりおもしろくなかった。端的に言うと、大味。筆者の宮崎作品への愛が強く現れている。批評を期待してはいけない。作品紹介が大変細かいので、大部な宮崎作品紹介本として読むのはいいだろう。しかし、批評が読みたいのであれば、今竹書房からでている…

第81回 ギラギラナイト@高円寺円盤

開演三十分前に円盤に着いて、EPなど見る。パット・ブーンやスリー・サンズなどが100円。レコードプレイヤーが壊れっぱなしなので買わない。見るだけ。 最初は永田一直氏のDJ。青年海外協力隊の歌や加藤隼戦闘隊の歌などをかけていて面白かった。 二番手は田…

いんたーみっしょん

ちょっと休憩です。はーッ、夜遊びが体にこたえるなあ。もう年だなあ。

3-6 その人でなければならない理由、そして男はみなマザコンである

筆者は大澤真幸の『恋愛の不可能性について』の議論を紹介しながら、「知的な思考実験の趣があってさほど実践的ではない」とし、「現実には人間はそんなに「条件」の揃った異性に会えるわけではないので」、「何度か会っているうちに好きになってしま」った…

3-5 片思いの構造と理想の女性像

筆者は「完全な片思いというのはあるのだろうか、と問」い、「よおく考えると、あることか、私は向こうから近寄って来たときにのみ女性を好きになっているような気がする」と告白し、「別段異性としての関心があって近寄ったのではなかったり、私の人格がわ…

3-4 一人に決める難しさ

筆者は「竹田青嗣が「同情ならいや、愛ならいい」という心理について書いている(『恋愛論』作品社)が、これはけっこうレベルの高い話で」「せめて同情なりとしてもらえれば私の世界では御の字なのである」と心情を述べている。また、「どうして人は自分を…

3-3 無償の愛の貫き方

筆者は「ここまで書いてきた手段ではどうしようもないほどその女性が自分を相手にしてくれないときはどうすればいいのか」(83)と問い、文学作品等を用いて以下の通り挙げている。 無償の愛に生きる 愛する女性にはほかに愛する男がいるので、その男の代わり…

3-2 「押したり引いたり」しなければいけない、という言説

筆者は「「押したり引いたり」しなければいけない、という言説」とは「要するに「手管」というやつで」(80)、「気があるような、ないような振りをしながら少しずつ引きつけるやり方である」と説明し、「この手も、相手に少しは気があるときしか使えないので…

3-1 「女は押しの一手」思想

筆者は映画『眺めのいい部屋』(ジェイムズ・キーヴォリー(ママ)監督、E・M・フォスター原作)、『ホテル・ニューハンプシャー』(ジョン・アーヴィング原作)、紫式部『源氏物語』中の「宇治十帖」、名香智子『パートナー』などに描かれている強姦のシー…

概要:第三回 女は押しの一手?―恋愛論(該当ページ:74〜98、但しこれより後のカッコ内の数字は引用先のページ数をさす)

読書会:第1回 小谷野敦『もてない男―恋愛論を超えて』(1998年、ちくま新書)その3

返事:かたるさんの『もてない男―恋愛論を超えて』#1へ

タイトルのキャッチーさについてですが、これは小谷野氏に限ったことではなく、扇情的な、場合によっては羊頭狗肉に感じられるタイトルの商品というのはいろいろあると思いますが、小谷野氏の著書にはなかなか扇情的なタイトルも多いので、注意が必要です。…

返事:タキネコさんの小谷野敦『もてない男』 その1へ

「童貞」にかんしてはあまり興味がないと言えるかもしれません。精神的な童貞(童貞精神)には興味があると言えそうです。 みうらじゅん/伊集院光『D.T.』(メディアファクトリー)は以前読みました。これはむろんご指摘のとおり、「脱童貞を成し遂げた男に…

感想/意見:第二回 「おかず」は必要か―自慰論

さて、第二回で大切なところはどこか。「恋愛欲」の定義というのはここで改めて確認してもいいかもしれない。「恋愛欲」は「人格的な交わりを経たのちに」「生身の他者にセックスのような形で自分を受容してもらいたいという欲望」である。これは一般的に考…

2-7 「性的弱者論」と「恋愛弱者論」

筆者は「セックスの相手がいないということが、一人の男、あるいは女の精神衛生に与えるイメージがどの程度のものか、これはあまり研究されていないように思える」(64)と述べた後、「セックスの相手がいない、というのは「心身問題」であって「身体問題」で…