導入部:菊地成孔とエキゾティシズム



菊地成孔(以下K) ぼくはまあ、この、ハイアートっていうんですか、この大学で取り扱っているようなアートについては完全の門外漢で、このキャンパスの向こう(註:音楽学部のことか)に入ろうとして挫折したような人間ですから、本当はあんまり伺いたくなかったんだけれど、今回田口くん(註:当対談の企画者)の尽力で、伊藤先生とお会いできるということになり、今日は、こういう講義形式を採っているけれども、実際、ぼくは伊藤先生に会いに来たんです(笑)。で、ここ(『裸体の森へ』がスクリーンに映し出される)に、先ほどサインを貰った。だから、もうこれで帰っていいかも、なんて思ってます(笑)。


ぼくが物を作るとき、インターテクスチャリティ(Intertextuality・間テキスト性)というものを大切にしていて、作品を作るときには大量のテキストを読むのだけれど、その中で必ず読む物、もう確実に100回以上読んでボロボロになってますけど、日本人の著作の中で唯一と言っていいかな、それがこの伊藤先生の初期の重要作『裸体の森へ』(ちくま文庫)ですね。学校で習う歴史、日本史、世界史、それから皆さんの中にも世界を捉える歴史観といったものがあると思いますけど、ぼくのなかでは、これが物を作るときにおける、ほぼ唯一の歴史観そのもの、と言うことができます。


K 今回、対談のテーマがエキゾティシズムということで、ぼくが作ったアルバム『南米のエリザベス・テイラー』の話をしたいのですけれども、このジャケットですね(『南米のエリザベス・テイラー』ジャケットがスクリーンに映し出される)。

このジャケットの写真を撮る候補地としてはふたつありました。ひとつは南米アルゼンチンのブエノスアイレスにある、コロン劇場という、世界三大オペラハウスのうちのひとつ、とでも言えるところですけど、ここはもう完全にパリのオペラ座をモデルにしていて、で、実際に上演しているのは、イタリア・オペラですね。ヴェルディとかね。


もうひとつの候補地としては、南米アマゾン川流域にあるアマゾネス劇場というところです。1896年くらいからブラジルではゴム景気というのがあって、ゴムを輸出してバンバン儲けていた時期があって、そんなゴムの木のあるジャングルの中にオペラハウスを建ててしまうのですけど、そのゴム景気というのも長くは続かなくて10年くらいで終わってしまって、その後アマゾネス劇場は廃墟になります。現在は改修されているようですけど、もうオペラは上演してはいないようですね。何か別の建物になっている。


K 今、エキゾティシズムというときにね、ぼくのなかではそれはふたつのものとして分けられるんですけど、まず、つまりひとつめは、幼児退行的な、失われた「故郷」としてのエキゾティシズムですね、ハイデガー的なものといっても良い。それから、これは文藝批評のことばになると思うんだけど、ポストコロニアリズムという視点があります。で、折に触れてこのふたつについて話して行こうと思うんですけど、現代のエキゾティシズムというのは今言った二者が交錯するような地点にあるんじゃないか、と。


Esquire Japan』という雑誌でブラジル/アルゼンチン特集という企画があったんですね。それで、えーと、ああ、また田口がトラブってます。恒例の風景ですね。テンパっている田口を見せるという、これは(苦笑)。いいや、いいや、こう見せちゃったほうが早いな(『Esquire Japan』誌の表紙を進行役田口氏の持つデジカムではなく、直截客席側に向ける菊地氏)。えーとまあ、この『Esquire』誌の取材でブエノスアイレスに行ったんですね、ぼくはアルゼンチン担当で。それでどうせブエノスアイレスに行くんだったら、そこでジャケット写真も撮ろう、ということになってですね、アマゾンではなくて、アルゼンチンで撮ったわけですね。コロン劇場では劇場のアートディレクターであるヴィノ・ブランコというひとにも会いました。彼は、開口一番「わたしの名前を聴いていただければ、いったいどこから来た人間であるか、ということはお分かりいただけると思います」というようなことを言ったのですが、まあ、名誉イタリア人ですね。ブエノスアイレスに行って感じたのは、彼らには欧州に対する、特にイタリアに対する憧憬というものが一方にはあり、同時に北米への非常に強いアンビバレントな感情があるんですね。怒り、憎しみと言ってもいい。まあ、そんなアメリカにはシャロンロックハートという、ポストコロニアリズムについて非常に意識的なアーティストがいます。エスノグラフィというのかな、文化人類学者にくっついてアマゾンまで行って、フィールドワークしている脇で写真を撮ったりするんですが。

(第2回につづく)