メランコリーと創作



I 菊地さんは創作におけるメランコリーについてどうお考えですか。


K そうですね。ラカン派、フロイト派、どちらも精神分析学に言わせれば、不安を伴う精神疾患というのはその幼児体験に根ざしているということになってしまうと思うんですけどね。幼少期に、自分の家が料亭だった。そこで流れていたサム・テイラーのサックスを聴いていたから『南米のエリザベス・テイラー』を作ることができた、とはいえますね。ぼくのディアスポラ(注 元は「ユダヤ人の(世界各地への)離散」という意味)という意味では、「異郷」と「故郷」があるんですね。


I わたしは先日1週間ほど、オーストリア、ドイツ、スペインと旅行してきたんですけど、チロルのほうへ行ってみました。山岳地帯ですね。で、そこではひとびとがバンドネオンを使って本当にのんきなダンスを踊っているわけです。


K ポルカみたいなやつですね(笑)。


I そうです。そんなドイツで生まれたバンドネオンという楽器が、アルゼンチンにわたったのが1905年くらいです。19世紀末から20世紀初頭にかけての欧州からの移民、最初はイタリア系が入りまして、続いて、スラブ系、アラブ系と入って、ブエノスアイレスは本当に混沌とした街になった。そんなところであんなタンゴという音楽が生まれたことは本当に不思議ですね。


K そういう(混沌とした)ブエノスアイレスの北米に対するアンチの態度ですね。憎悪、嫌悪といってもいいような物が、中南米の方法で表現されているんですね。だから、そういうアンチ北米の態度を、美的な感覚として捕まえることができた、というのが今回の作品については大きいです。

(第4回につづく)