1999年、36歳。

  • 家電メーカーに勤めていた岩澤瞳(現在は引退)を抜擢して、スパンクハッピーを再始動。岩澤瞳は今で言う「萌え声」「キター」という感じの、一部の人々に強く訴えかける声(笑)。アルバム2枚、シングル3枚をリリースし、現在は、活動を終了(休止)している。

スパンクハッピー「フィジカル」*1

  • 確か1985年発表のオリヴィア-ニュートン-ジョンの「フィジカル」のカバー。このアルバムから(ママ)歌を歌い始めた。若い頃は「俺の歌はサックスが歌うんだ」なんて思っていたけれども、幼い頃から歌を歌うのは大好きで、ついに本当に歌いだしてしまった(笑)。活動停止中と言ったけれども、今年の10月に元ピチカートファイブ野宮真貴を迎えて、東京と京都と2回だけライブをやる予定。
  • デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン(以降DCPRGと略記)結成。この年は70年代からずっと囁かれていた「ノストラダムスの大予言」の年だったが、その年になって「21世紀はいい調子なんじゃない」というような楽観的な感じが一瞬あった。2000年くらいまでのほんの一時期だと思うけど。そんな中、自分は冷や汗をかいているような気分で、「そんなにうまくいくはずない」と思っていた。不安神経症の発症は2002年だけれども、その兆候のようなものはこの時すでに存在していた。
  • 「戦争が来る、しかも日本に」という不安神経症特有の無根拠な不安を創作の動機として昇華させて始めたプロジェクトがDCPRGで、精神分析治療と整体(内気功)で治療を続けながら、活動を続けるうちに、「音楽を聴いてダンスすることが、人間の心身に治癒効果がある」という確信を得た。それがなぜかという決定的な理由付けはできないけれども、電車に乗るのが怖くても、ライブ会場に行くと2時間でも、3時間でも元気に演奏できてしまうという個人的な経験から得た確信である。
  • 『構造と力』というDCPRGの2枚目のアルバムは、80年代に発表された浅田彰の哲学書からの引用だけれども、本の内容は中身にあまり関係なくて、ファンクミュージックの構造が力を生み出していく、といったイメージ。構造1から6までの6曲が収録されているけれども、そのうち、「構造2」のリズムパターンがもっとも複雑。

DCPRG「構造2」*2

*1:アルバム『VENDOME,LA SICK KAISEKI』収録

*2:アルバム『Structure et Force Date Course Pentagon Royal Garden』収録