映画美学校/音楽美学講座/クリティック&ヒストリーコース/第2回講義@京橋・映画美学校

講師:大谷能生岸野雄一

  • 本日のテーマ:レコーディング以前
    • 20世紀的な複製メディアが生まれる以前、人はいかに物事を記録・再生・共有してきたか。作品を皆で経験せねばならない→わかちあいが物事を反復可能なものにする→「作品」化
  • #1 ことば
    • 人間は、喋ったり歌ったりすることで大昔から「物語」化の作業を行ってきた
    • 今から1000年前→和漢朗詠集藤原公任撰・西暦1010年ころ成立)漢詩中心で現在のメジャーレコード会社のコンピレーションアルバム(グレイテストヒッツ)のようなもの。平安王朝のトレンドがわかる。
    • 人がいて、共有できることがあれば「作品」は成立する。何か「感想」「エモーション」のようなものを持ち、伝達したいという欲求が生まれれば、「作品」化する。「反復できること」が「作品」には重要であり、記録媒体を持たない古代の人々は、まず最初に「ことば」を用いて「口伝」で、物事それを切り取り、記録した。当時の人々にとっては、そのからだそのもの(口、耳)がメディアだった
    • 平安朝の貴族たちの物の見方がわかる。「山を見た」というだけでは、「作品」にならない。自分が見た/思ったことを「共有」するには、よりしろが必要→シナ古典(漢籍)や古事記日本書紀万葉集といった基礎教養を「参照」する構造+α(付け加えうる視点)が必要
    • 現代では、教養として、詩歌が使われなくなったが、それは人間の肉体の外に、映像や音声をはじめとする情報を記録するメディアが発達したため
    • 今から350年前→おくのほそ道(松尾芭蕉
    • たいへん流行した作品で、ここで芭蕉は「歌枕」の再検証を行っている。今まで「当たり前のもの」として受け止められてきたスタンダードを、身の丈に落とし込むことで、新たな価値を発見した
    • 散文+俳句(発句)という斬新な構成
    • 歌仙を踏まえているが、それに対する批評精神が見られる
    • 平安後期の西行の放浪を辿ることで「記憶/記録」の捉え直しを行った作品
    • 今から250年前→雨月物語上田秋成
    • 西行が主人公。シナ古典と日本の古典を平等に扱う姿勢が見られる。
    • 当時幕府や朝廷を批判することはタブーとされたが、(今から)700年前に無念の死を遂げた崇徳院の墓参を(250年前の)当時扱い、そこで崇徳の亡霊が現れるという描写を通して、当時の幕府/朝廷に対するアイロニーやクリティックがじわじわと感じられる構造になっており、極めて近代的な小説といえる(批判を巧みに隠しているが、読む人が読めばわかるようになっている)
    • 歌を詠むということは、誰かに対する「呼びかけ」であり、「応え」を求めるものである。そこには「ことば」のもつ求心力が認められ、芸術・芸能というもののあり方を考える上で、非常に重要。「物語」の構造上でも、西行の歌に崇徳(の亡霊)が応えるという点が、「歌」そのものの「構造」に通じる。
    • 20世紀以前のものは「古典」ではない。少なくとも200年位前から、わたしたちの「世界」は地続きになっている。200年前→フランス革命(王制から民主制への移行があり、ひとびとの「世界」観が大きく様変わりした)
    • 100年ほど前に、現在に至る記録メディアが誕生し、普及した。それ以前の物事がそんなに遠いわけではない。遠く感じられるだけ。現在から過去を見る姿勢ではなく、自らを過去に置く姿勢が重要になってくる。
    • 深沢七郎/楢山節考(http://esquire.bb-f.net/web/music/index.html)
    • ある閉ざされた山村の話。おりんばあさんは70になると「姥捨て」される。その日がいつくるかいつくるかと心待ちにしている。この村では、「姥捨て」されることは、皆からの祝福であり、そのひとの喜び、人生におけるゴールである
    • 楢山節→節はひとつ。ことばは様々。それがこの閉ざされた村を端的に象徴している。この歌が、村のルールであり、倫理、情報をも「口伝」していく。歌がメディアであるということを極めて巧みに示している。
    • 深沢七郎/深沢七郎独演集より「楢山節」深沢による自作自演。「楢山節考」という作品は完全なフィクションだが、その作中に登場する歌をさらにその作者が自作自演するという構造。ある歌をどんどん替え歌にしていく過程で、歌の「歴史」化が行われる。歌がアーキタイプ(型)になる。
    • 歌が人間的な時間を複層化していくプロセスを描いた、歌の持つパワーについての作品
    • 近世/近代においては、地域社会…「顔」が見える範囲で「作品」が流通した
    • 「作品」の持つ「距離」いま・むかしについて考える→テレビやネット、有線で流通する「うた」とはどんなメディアとして捉え得るか
  • #2 彫刻・絵画・その他造形物
    • ピラミッド、地蔵、墓。これらのモニュメントによって、ふだん流れている時間と違う「時間」が杭のように打たれる。そこで起こることは生活の「物語」化。「時間」を打ち込むことを何度も反復していくことで、はっきりとしたモノ(「物語」)になる
    • モニュメントは皆で見たり触ったりすることで、記憶・記録を共有化する手段となる。モニュメントは複製することが困難であった為、オリジナルに直接触れたり見たりしないと確認できなかった
    • アウラ」→唯一無二のモニュメントを確認することで得られる→儀式や儀礼の発生
    • 「時間」の「作品」化によって、「時間」を「作品」を通して反復経験することが可能になった
    • 現代では、モニュメントを必要とする/しないが極めてあいまいになりつつあるが、ながらく人間はモニュメントを必要としていた
    • 歴史画:大きい画:皆で見て共有する→教養として確認する。そのためには客観的なイメージを作って、「人物」を「歴史」に繰り込むことが必要
    • 肖像画:画が描かれることで、皆が知っている「イメージ」になる。19世紀まではそれが大切なことだった
    • 今、テレビが果たしている役割を絵画が担っていたが、19世紀中葉から20世紀前半にかけて、写真がイメージの価値が高いメディアとして、絵画を駆逐した。その後、動画(活動写真、テレビジョン)が現れる
    • クールベのリアリズム(作品:「オルナンの埋葬」)→価値のかく乱を行った。肖像画は庶民を描くものではないというイデオロギー/ヒエラルキーに挑戦した。描かれるべきものは、庶民(地方ブルジョア)という世界観を提示し、やがて絵画は描く人・描いた人に価値が認められる(イメージは何でもOK)「印象派」がメインストリームになっていく→具体から抽象(写実性重視から感覚・感性の重視)
    • リアリズムは、目の前にあるものを正確に描くことそれだけで「作品」が価値を持つということを世に知らしめた
    • 具体と抽象という表現における差異を検討することはものをつくる上で極めて大切な要素
  • #3 師弟関係
    • 師弟関係のようなクローズドな人間関係は、「作品」のモニュメント性を高める
    • 内外不出の作品、年に一度公開というような扱いによって、「作品」の神秘性が高まる

ある。ことばは同じだが、節が変わった。

    • 近代化されていないものが録音されている→大変珍しい「作品」
    • ♪書生節(大正時代の録音)
  • #4 譜面化された音楽
    • 紙(またはそれに準じるもの)に記述されること→人間から切り離された「記号」として流通することで、「商品」としての音楽が手軽に扱えるようになる
    • 『Favorite Songs of Nineteenth』…19世紀に米国でヒットした音楽(シートミュージック)をコンパイルした書籍。当時50万部売れた→音楽がカネになった。
    • 移民社会の米国では、様々な民族が持ついろいろな音楽があったが、「米国の音楽」はなかった。そのために、「米国人」が「米国人」として「米国の歌」を必要としていた
    • 作曲家と編曲家の名前を見れば、その出自がわかる
    • ピアノを弾いて家族や友人知人、親戚などと皆で歌う形式で消費された、お菓子のような使い捨ての音楽
    • ユリ・ケイン『Tin Pan Alley Story』(2000)
    • ♪「野球場に連れてって」(1910s)ドイツ語なまりのイディッシュ語で歌われるワルツ
    • ♪「After the ball」ワルツ。当時のシートミュージックはみなリズムパタンが単純で、楽曲の構成もA-B-Aというようなものが多い。20世紀に入る瞬間のポップスはみなそんな感じ。
    • 中には大変売れて、現在も米国のスタンダードミュージックになっているものもある
    • 多文化社会である若い国:米国のひとびとが、米国人として歌えるような歌を作らなければならなかった。その為に、大きなヒット曲がいくつも生まれた
    • 第一次世界大戦…米国は欧州へ派兵を行った。1910〜20年代にかけて、ブロードウェイ全盛を迎える。都市民としての生活スタイルが定着する時期。
    • 戦争は、オリジナルから替え歌を作る場所(特に連合軍において)として重要
    • ベトナム戦争での「替え歌」についてはスタンリー・キューブリックフルメタルジャケット』が参考になる
    • 替え歌的世界観→手元に「うた」があり、組み換え自由。シンプルなフレーム(楽曲構造)に「替え歌」(自由な歌詞)
    • 譜面化の定着→「スコア」として戦地から故郷へ持って帰れる。ピアノによるアレンジも可能になった。
    • 楽曲の定型化に伴い、「歌手」の魅力が顕在化したのが、1920年
    • 「うた」におけるガラパゴス島=沖縄…沖縄の人々には「座」の意識があり、「うた」が残っている
    • 1975年の喜納昌吉ハイサイおじさん」によって、本土に認知される→歌手やプロデューサーの記名性が高くなり、「うた」としての魅力を喪失した。
  • #5 映画
    • リュミエール兄弟(世界最初の活動写真)。同時代にエジソンも、覗き込むタイプの映写装置を発明したが、それは一人用で、大勢の人で同時に鑑賞することはできなかった。
    • 映像:シオタ駅への列車の到着
    • イメージをきちんと描ける技術・大勢で共有する→大きなスクリーンが必要
    • 写真、映画の登場により、絵画のリファレンスとしての価値が低下した
  • #6 まとめ
    • イメージの「真偽」の問題
    • 犯罪者に昔は焼きごてで「しるし」をつけていたが、写真が「真実の姿を写す」という認識が定着し始めると、犯罪者の姿を写真で記録し、リファレンスにするようになった。現代ではIPアドレスか。
    • イメージがどう扱われてきたかという問題→写真により「絵画は嘘だった」(制作者の主観が混じる)ということが暴露され、絵画は「印象」派に向かった。和漢朗詠集においては、うたができる構造が明らかにされ、詩/詞はフィクションであることが次第に明らかになった
    • 不在のメディア→かつて何が無かったか。自分の中から何を取り外せば、「18世紀の耳」になるかということを考える必要がある
    • リュミエールは全世界にカメラマンを派遣し、世界中から回収されたものをエキゾティックに楽しんでいたが、1890年〜1900年にかけて映画は米国に伝わり、映画は「物語」をつくる方向へ向かう(『大列車強盗』1913年)
    • ワンカットで成立するためにお膳立てするリュミエールはライブ志向
    • 米国では、プロダクションの効率化を求めて、編集志向
    • メディアの不在を強く意識する必要があり、そのことは様々なメディアから「音楽」を見つめる姿勢につながる