[雑文]水木先生とオレ

水木しげる先生が、亡くなった。93歳である。子供の頃から、手塚治虫先生と並んでぼくの心の師匠であった水木先生だが、あまり悲しいという気持ちは湧いてこない。とても長命だった。その作品のいくつかも、同様に長命で、この数十年の間に何度も何度も何度もよみがえった。長命だったし、水木先生ご自身が妖怪のような、すでに人を超越している感じがしていた。だからあまり悲しくないのだと思う。

1980年生まれのぼくがまだ小学生の頃、『悪魔くん』が何度目かの復活を果たしており、アニメと並行してまんが版が講談社の『コミックボンボン』で連載されていた。その『悪魔くん』が載った『コミックボンボン』本誌を、来月97歳になる祖母に買ってもらった懐かしい思い出がある。最初見たときはなんて気持ちの悪い、不気味な絵を描く作家だと感じた記憶があるが、そのうち水木作品の数々に親しむことになったのだった。

先日も、友人たちとLINEのグループチャットで水木作品について話をしていた。ぼくは東考社版(貸本版)『悪魔くん』の魅力について力説していた。現在は小学館クリエイティブKADOKAWAから刊行されているが、ぼくはこれを1997年に太田出版から刊行された版で読み、その暗い世界観と独創的なペンタッチに深く心を奪われたのである。
定本・悪魔くん (QJマンガ選書 (01))

水木しげるのパブリックイメージは、いま、どんな具合なのだろうか。よくわからないが、のんびり暮らしてたまにまんが(イラスト)を描いている好々爺という感じだったろう。数年前から、水木プロダクションTwitterアカウントで水木先生の日々の動静を伝えていたし、その変わらない旺盛な食欲をぼくも微笑ましく眺めていた。しかし、水木先生の活動期間は戦後の紙芝居時代から考えても、超人的に長かったし、代表作以外の膨大な作品もこれからますます読み継がれるべきだと思う。その点で、2013年から講談社という大メジャーレーベルから全集が刊行中というのはとても喜ばしいことだし、ぜひ全108巻が刊行され、ますますその作品の数々が読まれることを1ファンとして祈らずにはいられない。軽く冥福を祈るよりは、水木作品をまた一つ多く読もう、とぼくはみなさんに呼びかけたいのだった。