JMLミニレクチャー「音楽における「拡張と収縮」について考える」

2019年3月31日(日)、世田谷区松原5丁目所在のJMLでオランダの現代作曲家、ピート=ヤン・ファン・ロッスムさんとピアニスト瀬川裕美子さん、現代作曲家鈴木治行さんのお三方による約2時間のレクチャー「音楽における"拡張"と"収縮"について」が開かれたので行ってきた。JMLを訪ねるのは、昨年2018年2月以来約1年ぶり。ちなみに前回も来日していたロッスムさんによるレクチャーだった。ロッスムさんが彼の音楽について語るうちにどんどん熱くなり、3時間を超える長丁場になったことをうっすらと覚えている。

今回のレクチャーは、彼が2018年に作曲したアンサンブル作品『Hanso-bo』(鎌倉にある寺の名前[半僧坊]から採られたタイトル)が、ピアノのために編曲されことし「amour」となり、その世界初演を瀬川さんが、先日2月23日にトッパンホールにて開かれた自身の第7回目のリサイタルで行ったことを契機に開催された。まず最初にロッスムさんが、彼に大きな影響を与えた作曲家としてウェーベルンマーラーを挙げ、ウェーベルンはその音楽の凝縮性を称え、マーラーについてはその音楽が長大すぎることを批判したあとで、ロッサムさん1995年作の「Als een zin...」(オランダ語で「一文のように」の意)を聴いた。ウッドブロックが印象的に用いられており、どこか日本的なリズムとも相まって、東洋的な響きに彩られた曲である。彼は日本に滞在していた2014-5年頃、初めて能を鑑賞し、その物語は理解できないものの、能舞台の雰囲気やサウンドに大きく触発を受けたという。
 
次いで、2019年5月に初演予定のロッスムさんのテープ作品「at all, mainly」を聴いた。抽象的で無の精神を感じさせる禁欲的な音響に、ドイツ語や日本語(「火の用心!」というセリフ)の語りが付け加えられており、それは、日本人であるぼくの耳から聴くと、どこか滑稽味があった。この作品についてロッスムさんに尋ねたところ「ドイツ語のセリフは母国オランダでの海面上昇に問題についてのもので、日本語の「火の用心!」はそのことばの響きそのものも気に入ったが、火の用心(火気に気をつけろ)の"火"は"日"(太陽)にも通じるから、地球温暖化に気をつけろ、という意味でもある」というような返答があり、とてもユニークだと感じた。ここでマルグリット・デュラス独特の取り立てて何も起こらない空間を、持続的に描写することによって作品にもたらされる緊張感を維持する小説手法にロッスムさんが、自身の作曲において深くインスパイアされていることが述べられ、鈴木治行さんが1990年代初頭に作曲された『三角洲』(フルート、クラリネット、ピアノのアンサンブル曲)の解説に移った。『三角洲』には4種類のモチーフがありそれはきわめて短く小さなものだが、曲の中で徐々にモチーフが拡張されることが、聴衆全体で曲の録音を聴きながら、鈴木さん自筆の譜面と黒板の図示によって分かりやすく説明された。
 
5分ほど休憩の後、後半は、ロッスムさんが今回編曲した「amour」についての話となった。配布された資料には『Hanso-bo』が「amour」に凝縮される過程で書かれた譜面が掲載されており、ここには「amour」では省かれた定旋律が記載されていた。「amour」に編曲している際も彼の脳内ではこの通奏音が鳴っており、それは曲の安定性、また神の声を象徴しているが、ピアノ1台のための編曲であることを考慮して割愛されたようだ。このあと、実際に『Hanso-bo』の一部をみなで聴いたのだが、チューブラベルとヴァイブラフォーンを用いて、沈黙が音楽的に表現されており、楽曲全体にどこか壊れ物がはらむような繊細な感覚が溢れていた。「amour」は2021年初演予定のピアノコンチェルトに"拡張"されることが示唆され、その後ピアニスト瀬川さんによる10分余りの「amour」の演奏でレクチャーは締めくくられた。「amour」は世界初演時に聴いたときも感じたのだが、メロディがピアノの低音部~高音部にくりかえし跳躍することを曲の推進力としており、きわめて洗練されている。その思いを改めてかみしめることができ、とても良かったと思う。
 
ちなみに実際の催しでは、テープ作品「at all,mainly」の鑑賞と、デュラスの小説技法についての話の間に、瀬川さんによるブーレーズ作品の拡張する編曲手法(ピアノ曲→オーケストラ作品など)が、ロッスムさんの収縮する編曲(アンサンブル作品『Hanso-bo』→ピアノ作品「amour」)と正反対の方法として分析された。ぼく自身のブーレーズに関する理解と知識はきわめて粗末なため詳述することは控えるが、ただ、とくに瀬川さんがリサイタルでも演奏したピアノソナタ第2番(1948年)で展開される、音程の上昇/下降するモチーフについては、丁寧に作られた資料が配布されたこともあって視覚的に容易に理解できるようになっていたことは特筆したい。
 
最後に。JMLは入野義朗さんが設立した音楽事務所が元となっており、1980年に同氏が亡くなったあとは、高橋禮子さんが現代音楽などを学ぶ場として運営されている。いつも肩ひじ張らないアットホームな雰囲気で催しが行われているようだ。機会があったらぜひ足を運んでほしいと思う。参加された皆様はお疲れさまでした。とくにソロリサイタルの後にもかかわらず、イベントを企画した瀬川さんにはとりわけご自愛くださいと申し上げたい。では、ここまで読んでくださってありがとうございました。(おわり)