まるで街が死んだような日

毎月一度、品川のとある精神科に通っています。もう11年経ちます。きょうは、採血と採尿のため、朝9時ころに起きて朝食を摂らずに、コップで水を飲んだ後すぐに着替えて家を出ました。西武新宿線高田馬場まで出て、そこからJR山手線に乗り換え、品川まではおよそ80分ほど。山手線は緊急事態宣言が出て初めての土曜の朝ということもあってか、ふつうに座席に腰掛けられました。つり革につかまって立っている人は、ほぼいません。

駅に停車しても乗り降りがほとんどありません。新宿や渋谷では多少ありましたが、それにしても少ない。各駅の構内放送がやけに耳障りに響きます。おそらく混雑を想定した音量設定なのでしょうが、人混みが発生しないので物音も少なく、ひと気のほとんどないぶん、音の反響のしかたがいつもと違うのだと思います。人や物で溢れていると音は吸収されるので、いつもであればたいして気にならない構内放送をずっと気にしながら、電車内では村上春樹の紀行文を読んでいました。

 

ようやく品川に着きましたが、まるでどこかの地方駅に降りたような感覚で、人混みのなかにじぶんの動線を見つける必要がありません。どこへでもすいすい移動できます。なにしろ人がほとんどいないのですから。品川駅に通って10年以上経ちますが、こんな経験はもちろん初めてでした。駅前も人影がまばらでしたが、病院の待合室はいつも通りに混雑していました。採決と採尿はすぐに済みましたが、1時間強待って、ようやく診察。主治医とはすこし長く話し込んでしまいました。

先生の話では、すでに通院されている方のなかには精神状態が悪化して、外出ができなくなっているひともいるとのこと。緊急事態宣言が長引けば、一般の人のなかにもアルコール依存症うつ病になる人が多数出てくること、自殺者も増えることを懸念されていました。その話を伺いながら厚生労働省精神科医療におけるコロナ対策のガイドラインを早急に作成し公開してほしいと思いました。おそらく東日本大震災のときに得た教訓が役立つでしょうが、対応が遅れると、全国の精神科医療も逼迫し、崩壊する危険性も高まるのではないでしょうか。

帰りは、高田馬場の街の様子を知りたくて、電車の乗り換えのタイミングでJRの改札を出て駅の周りをすこし歩いてみました。店を開けていたのは、ラーメン屋、ケータイショップ、コンビニエンスストアくらいで、多くの店はシャッターを下ろし臨時休業の張り紙がありました。バスは駅前のロータリーに入ってきましたが、乗り降りする人も少ないです。なぜか路上でバイオリンを弾いている若い男がいましたが、立ち止まる人は誰もいません。天気は良く、空も青いのに、愉しい賑わいのまったく無い高田馬場の街は、まるで重篤の病人のような顔をしていました。

おそらく今後本邦のコロナウィルスの感染防止対策は、外出制限を中長期的に継続しながら、検査+隔離を行い、外出制限を再度行う、そのくりかえしで進んでゆくのではないかと思います。そして、それは2-3年続いていくのではないかとぼくはみています。ワクチンが見事開発され量産されたとしても、そのあいだにウィルスそのものが変異し、強毒化し感染力も強くなった場合は―あまり考えたくないことですが―4-5年、いやそれ以上このウィルスに悩まされることになるかもしれません。そのとき、東京の街々はいったいどうなっているのか。そして、日本各地の盛り場は本当に死に絶えたようになってしまうかもしれません。

いま来るべき将来について考えることは、現在のぼくたちの想像力をはるかに超えているのは確かです。その困難のなかでも、誰もがなんらかの方途でもって、一人でも多く生き延びてくれることを祈らずにはいられません。ぼく自身もその端くれになんとか連なれるように、不穏な日々を比較的賢明に踊り続けてゆきたいです。