内的な焦土について ―心のうちで一度死んでしまうということ―

心もからだも、焼け野原になってしまい、ようやく呼吸をしながら、ひたすら寝床に横たわるやけぼっくいのような日々。ただ、最低限の生命活動を維持しているだけで、まるで人間的とはいえない生活。社会も世界も経済も文化も、おのれとは断ち切られている、あるいはすべてをずっとずっと遠くに陽炎のように感じる。好きだったはずの音楽を聴いてみても、たしかに空気は振動しているのだが、気持ちは虚ろ。本を読んでも集中力が続かず、数ページ読んだだけで息切れしてしまう。ぼくの、限りなく困難だった2013年。あれから、7年が経った。

7年前は、毎日、死にたいと思っていた。外出する機会があると、自然と死に場所を探してしまった。よく通っていた整体院が初台のビルの13階にあり、そこの非常階段を見るたびに、ここから飛び降りたら上手く死ねるかもしれない、と思った。妻に疎まれて、実家に帰ると近所の踏切が、ぼくを手招きしているように見えた。それでもけっきょく死ぬことはできなかった。死ぬことが怖いのではなく、死ぬ過程の痛みや苦しみが恐ろしく、そのうえ、もし自殺に失敗して生き残ってしまったらどんなに辛いかと考えると自殺に踏み切れなかった。古い付き合いの親友にはLINEで頻繁に「死にたいよ」とメッセージを送っていたと最近聞いた。本当に本当に、彼には迷惑をかけたと思う。しかし、そうせざるを得なかった。一日に何度も死ぬことを考えたのは、2008年に発病したうつ病が、実は回復の兆しにあったその5年後だったのだ。

 

うつ病を患ったかたにはわかっていただけるかもしれないが、この病気はもちろん四六時中憂鬱で、それが苦痛で、時々刻々と責め苦に遭い続けているようなつらさもあるのだが、実は回復期の初めにある無気力感(意欲の消滅)もまたおそろしくつらい病気である。ぼくは憂鬱な気持ちがやや後退した2013年が、本当につらかった。感情的な重しがほのかに軽くなり、やや客観的に自分を捉えられるようになる。これは、漸進なのだが。

基本的には抑うつ的な気分のうえに、何もしたくない、呼吸をするのもやめてしまいたい、ソフトにいえばただちに消えてしまいたい、直接的にいえば、死んでしまいたい、という強烈な気持ちに断続的に支配され、そのような日々が毎日果てしなく続く。いや、それに終わりはあるのかもしれないが、苦しみに満ちたその日その日が永遠に続くように―いずれ死を迎える時まで―思えてならなかったのだ。そんなとき、ぼくは救われたいと考えた。そして、マクグラスが書いた『キリスト教神学入門』を読んで、救済について知りたいと思った。

救済という宗教的な概念は、キリスト教に限らず、あらゆる宗教に存在するが、ぼくのなかでは救済のイメージはキリスト教に繋がっていた。そこで、読むしかないと決意して、毎日少しずつ読んでいった。読むのは大変だった。集中力が持続しないのに、2段組みで780ページの本を読む気によくなったものだと思う。必死だったのだ。

読んでいる途中で、はたと気づいたが、救済は堅く継続的な信仰によってもたらされる。そこで思ったのは、ぼくは神や仏などの超越的な存在を信じて、それらからの恵みを求め続けて生きていくことはできないということ。自分がどんなに酷薄で困難な環境におかれていても、信仰に生きることはできないと直感してしまった。病苦や貧困から信仰の道に入る人は、有史以前から無数にいただろう。彼らの気持ちも半分は分かる。でもぼくはそちらへはジャンプできないと確信した。キルケゴールがいうように、神(要するに、人知を超えた存在)を信じるには最終的には"跳躍"が必要なのだ。ぼくは跳べない、と思った。そして、2010年に再読したハイデガーの『存在と時間』に導かれて足を踏み入れた、哲学という野道で歩をかためていくしかない、おのれの思索を鍛えて、荒野をよたよたとすすんでいくための杖にするしかないと思い至ったのだ。

哲学と宗教の大きな違いは、キルケゴールの思想によく現われている。彼は非常に熱心なプロテスタント教徒であり、ヘーゲルに大きな影響を受け、自身の哲学を実践した。哲学はあくまでも自己を手放さない、そして自分の頭で考え抜くことを課す営みなのだ。プラトン以来の弁証法もその方途のひとつである。対して、宗教は、その教義においては哲学などからの影響もあり、論理で構築していく部分もとくに近代以降かなりあるわけだが、超自然的な奇跡がそのうちにビルトインされているので、すべてがロジカルなわけではない。教義を知ることもむろん大切なのだが、それ以上に超越的存在を信じ続けることが最も肝要なのだ。それを、キルケゴールは"跳躍"と術語化したわけだ。実に分かりやすい用語だと思う。

先述したようにマクグラスの『キリスト教神学入門』は浩瀚な書だった。それをすぐにエンストしてしまう脳みそをつかって、一日一日一歩一歩読み進めていく。読み進めるのに、とても長い時間がかかったことはいうまでもない。気づくと1年以上が経っていた。そうすると、ずいぶんと自分の症状も変わっていた。そしてなんと、心のうちに音楽についての関心が蘇ってきたのだ。故・シム・ヒョジョンさんが主宰していたBuncademyという音楽スクールで、作曲家の近藤譲さんが音楽書の原書講読講座をひらくことをFacebookで知り、月に2回、東横線学芸大学駅に通う日々が始まった。友人のSさんからの勧めもあり、テストの採点アルバイトも不定期ながら始まった。2014年はそんなふうに、少しずつ少しずつこの世へ復帰してくる一年になった。その前年とは暮らしぶりはずいぶんと変わった。残念ながら妻との関係は悪化の一途を辿り、翌年から完全に別居することになるのだけれど。


内的な焦土から、なぜ音楽への好奇心が再び芽生えたのか。その理由は分からない。毎日薬を飲んで、ずっと安静にして暮らしていたことで、おのれの内的な自然回復力によって、脳の機能が賦活されたからだろうとぼくは推測している。しかし、ぼくは結果的には幸運だったとしかいいようがない。うつ病に限っていっても、その病が回復するのに要する時間は個人によって大きく違う。ぼくは罹患して6年目くらいから好転していったわけだが、それが10年20年とかかる人もいる。もちろん、重篤な状態のまま、老齢を迎える患者もいる。そういう人は、本当に長い時間、心の焼け野原を抱えたまま、息をすることになるのだ。その甚大で深い苦しみは、想像に余りあるといって差し支えないだろう。それは、その人の存在そのものが不断なく侵される、残酷すぎる痛みなのだから。やや文学的にたとえれば、魂への火炎放射が常時行われ、その人の精神が持続的な地獄となる。そういう感じなのだ。

いま新型コロナウィルスが全世界に広まったことで、多くの人が生活への不安と感染の恐怖、そしてわずかな死の予感に襲われている。こういうとき、一度内的に死んで、焦土から(なぜか)生を取り戻してしまった人間は強い。けれども、それは誇らしいことでもなんでもない。偶然そうなっただけなのだ。辛酸を舐め続け、半分死人となる酸鼻をきわめた人生など他の誰にも薦められない。そして、一度も(内的に)死んでいない人にも、その人なりの地獄があるともぼくは思っている。なぜなら、その人はすでにつねに、今もまさに"ここ"で生き続けているのだから。生き続けている限り、程度の差こそあれ、みな死線を潜り抜け、その人なりの地獄を通り抜けて、墓石の下へとたどり着くのだ。これが、この世界の真理の一端ではないだろうか。ぼくはそう考えながら生きているのである。

重たい話でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。