傾向/象徴としてのメイド性/ロリータ性

最近心に残ったセンテンスに「恋ができる人は自分を見ている」
(すげえ大意、ですけど・苦笑)というのがあった。本で読んだか
ウェブのテキストだったか完全に忘れていて、引用元を示せない
のが甚だ遺憾ではあるけれども、ああ良くも悪くも恋は実に自分
自身を見つめる行為だよなーなどと懐かしく己が記憶を反芻したり。

ええとそれとはあんまり関係無いんですが、昨今のロリータ萌え、
メイド萌えという事象について詮無い考えが浮かんだので、無理
矢理、文章にしてみたいと思います(苦笑)。まあ、ロリータも
メイドも興味ないんですが、なんか良いネタになりそうだったので。

まずメイドからなんですが、メイドってのは、わが日本国では完全に
雇い主とその女中(お手伝いでもなんでもいいけど)という主従関係を
男女の主従関係にずらしたアイコンとしての存在かなと思います(笑)。
メイドが一般的に性的なアイコンとして機能するかどうかというのは
別として(笑)、メイド的な女性を何故求めるかという理由について
考えてみると、ある種マザーコンプレックスっていうか、甘えたい願望と、
支配したい願望がミックスされているような欲望があるのかしらん。で、
やっぱりメイドっていうアイコンが置かれる文脈っていうのは、完全に
女性が‘従’の立場だと思う。これはまあ男性に都合の良い幻想の女性像
としては端的なものだと思いますね。エロマンガの影響もあるのかな?
良くわからないんだけど。これはでもヨーロッパの文化から外れた日本
だから許容される(?)妄想な訳で、ヨーロッパでは、メイドが好きなんて
言ったら、凄い視線で見られるんだろうな。だって、メイドは階級社会の
産物で、性的対象として見るなんて、基本的にあり得ないと思うし。
(むろん今も昔も不倫な快楽としてはあると思うんだけれど・苦笑)
あとは、やはりメイドから連想するのは、男尊女卑的な旧い世界というか、
そういうものに対するノスタルジーだよなあ。これもあると思います。

ロリコンは基本的にはやはり社会的な圧力からの逃避の象徴なような
気がする。むろん、ぼくはロリータを愛せないので(笑)、想像の
範囲に過ぎないわけですが、仮にロリコン性という概念をここにでっち
あげてみるとしたら、その理由は強くたくましく美しい女性には叶わない
から、自分の支配できる幼児的なものを求めるというか、そういう欲望に
裏打ちされたものかなあ、と。

両方に共通して伺えるのは、やはり、男性が女性に対して基本的に優位
でありたい、という欲望なわけで、これは実際問題どんどん手に入らなく
なりつつある状況だと思うんですけど、そうすると欲望としてはどんどん
肥大化するのかな。むろんその背景には女性の社会進出とか、男性中心の
社会構造が揺らぎ始めているとか、不況だとか、失業率が高いとか、そう
いった社会の変動がある。その時代その時代の社会的な状況はもちろん
あらゆる欲望に大きく影響すると思うんだけど、男性の性的欲望も例外では
ないのかも。今、不景気だし、女性がわりと元気な感じがする。自分の周りの
狭い世界を見ているだけでも、それを感じる(笑)。逆に、男は、自分を
含めて(笑)非常に社会的なプレッシャーに弱くなってると思う。仕事の
面でも、生活の面でも、ひ弱な男が多いんじゃないかな、と思う。これは
もちろん個人的な雑感で敷衍できる事実ではないと思うんですけど。だから
こういったことが、傾向/象徴としてのメイド/ロリータというものとして
表出してくるのかな、みたいな。いやはや非常にまとまりもなくオチもない
文章になりました。あしからずご了承下さい。

ここらへんのことは一度きちんと整理してまとめてみたい気もするけれど、
まあ、とりあえずこんな感じです。実に愚考のようだけど、まあいいです。