雨がやんだら

明日から天津に行ってきます。




「終わらないマップ」


旅の始まりは出発の「前日」。旅の終わりは帰る「前日」。だからいつも「前日」と呼ばれる日、
ぼくは、ひとり盛り上がっている。子供っぽい、天の邪鬼などと言われる。旅を共にする仲間からは
嫌われる性格だ。そして旅の「当日」。いってきます、おかえりなさいだけの「当日」。未来だけが、
まっすぐ目の前に伸びている。びゅんとぼくは気づく。今日という日が死んでしまっている、と。
今日のことは未来のために、すべてが捧げられ、今日という日は死んでしまっている。
だからかどうか、空港には「死」のイメージがある。しんとして、りんとしている。巨大なお墓にいるようだ。
こどものころ、偶然、こうしたことに気づき、よく泣いた。でも、おとなになれば「よしよし、大丈夫だよ」
などと太い声ではなす、大丈夫なおとなになれるものだと安心して泣いていた。さて。とにかく、おとなには、
どうにかなってみたものの。どうだろう。太い声にはなれたが、まったくもって進歩がない。「当日」の空港で、
今でもぼくは母のない子のような気持ちだ。故郷を離れる気持ち、この世をぬけだす気持ち。
でも、今のぼくは、それをすきと言えるぐらいは、したたかなおとなになれた。旅はまだまだ終わらない。
音楽を聴く旅も「前日」と「当日」の狭間で、存分に楽しみ、残念になり、恐がる。
それらすべてをすきと言えるぐらいの、したたかなおとなにはなれた。旅は終わらない。さあ、明日は
何の音楽を聴こうか。誰のレコードを聴こうか。旅は終わらない。終わらない。終わらない。終わらない。
終わらない。終わらない。終わらない。終わらない。終わらないマップ。


鈴木惣一朗
ワールドスタンダード


文章の引用は『map issue #1』summer 2000 , p.127より