嘘よりはいい

utubo2003-04-01

最近マンガ関係で失敗したのは、藤子不二雄Aの貴重な名作「夢トンネル」
(京都漫画研究会発行)を注文し損ねて読めなかったということにあるだろう。

それはさておき、今日は少女漫画の話だ。

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まろんさんには、昨年、プログレ力(プログレッシブ・ロック音楽等、主に混沌
とした身体感覚を誘うことを目的とし、時に大仰に、時に脆弱に、歌をつむぐ
変体的な音楽を受容するパワア)を授けて頂いた。そして今度は少女マンガ力
(それは少女マンガの文法読解法と言い換えてもいいだろう)を授けて頂くことに
なった。これはウツボまろん化計画の第2弾であり、またの名を(以下略)。

要は、先だって、かたるさんとまろん邸を訪問した折に、少女マンガ(ぼくが
うまれた・あるいは赤ん坊だった頃の作品)の単行本を貸して頂いたというだけの
話である。ウツボまろん化計画という計画は存在しない。念の為申し添えておく。

前置きが長くなったので感想を述べていこう。

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くらもちふさこ「わずか1小節のラララ」(マーガレット・コミックス/集英社

ロックバンドのマンガである。昭和51年から53年にかけて発表された「蘭丸団シリーズ」
3作が収録されている。この頃、80年代、世の中では、イエローマジックオーケストラ
一世を風靡してみたり、百恵ちゃん聖子ちゃんが人気を博したり、ピーナッツベンダーが
売れなくなったタイトーが喫茶店スペースインベーダーを送りこんだりしていた。そも
そも蘭丸団というバンド名からして極めて牧歌的で魅惑的だ。いったいどんな音楽を演奏
しているのだろうか。このマンガのストーリーを要約すると内気なめがねっ子がバンド
メンバーの代打で男装し、キーボードパートを上手に弾いてかっこいいバンド仲間に誉め
られて胸キュンするマンガである。ぼくは今回はじめて、少女マンガというのは他愛もない、
取るにたらない題材を、ここまで作品として完成させてしまうということについて驚きを
禁じえなかった。阿呆かと仰る方もいるに違いない。しかしぼくは少女マンガが少年マンガ
とは明かに異なる精神性に貫かれているまったくの未知の分野であることに気づいてしまった
のだった。というのはちょっとおおげさですね…。とにかくぼくは今少女マンガには少年
マンガ、青年マンガの文法とは明かに違うと、違和感を感じまくっているのが正直なところだ。
いったい何が違うのだろう?悩む端からこれも数をこなせばそのうち慣れる感覚だろうか。

倉多江美「傑作集1 五十子さんの日」(フラワーコミックス/小学館

まろんさんは「これは読むべきだよ、ウツボくん」と諭すような口調でそっと
倉多江美を手渡した。しかも4冊だ。この作品集で、コミカルな…そう、こういう
まんがの種類はラブコメちゅうのかな、みたいな感銘を受けたりした。そしてまた
絵柄の崩れ具合というか、ああ!まんがだ!という喜び、そういうものも味わったりした。
というのも、ぼくがわずかに少女マンガに触れていた時期は主に'90年代であり、吾が妹
耳子は強烈な「りぼん」読者。そう池野恋とか吉住渉とか岡田あーみんとかさくらももこ
とか。一条ゆかり先生は描いていただろうか。まあそれはさておき、もう、なんていうか、
今のマンガも多くはそうだけれど、というか現代マンガをほとんど読んでいないので
分からないのだけれど、わりとかちっとしてしまっていて絵柄がおもしろくないのだ。
まんがを読む楽しさというのはやはりその描線を目で追う楽しさがあって、いくらキャラの
画が整っていても、むろんそれはそれで魅力的なのだが、やわらかくふにゃふにゃした
へんてこな感じにエロチシズムを感じたりもする。要は画の持っている生命力があるか
ないかという話なのだが、そのツボというのは人によって感じるところが違うのだろう。
まあそれはいいや。これに収録されている「パラノイア」「五月病」という作品は少女
マンガうんぬんということを抜きにしても読み得る魅力を持っている。ここらへんが
わりと彼女の本質が出た部分ではないかと思う。作者自身がわりと気を病むタイプ
なのだろう。そしてそういう感覚を作品に構築できるパワーも同時に持っていると見た(笑)。

倉多江美「傑作集2 ぼさつ日記」(フラワーコミックス/小学館

たぶんこの作品がとりわけ好きだ。それは作者が壊れていく様が、まんがに良く
あらわれているからだと思う。基本的にギャグ。ギャグマンガほど体力の必要な
分野もないというし、ギャグマンガ家は3年で潰れるという伝説もあるくらいだ。
思えばギャグマンガキチガイっぽい魅力を放つ作品が多い。そしてそのドタバタ
というか、韜晦ぶりというのは中毒性が高い。漫画太郎は、ぼくは好きではないの
だが、先に述べた耳子の「りぼん」購読時代、ぼくが一番楽しみにしていたのは、
なんといっても岡田あーみんだ。彼女のマンガは今思えば躁鬱病者の創作物みたいな
感じがする。「ルナティック雑技団」というのが猛烈に好きだった。しかし妹は
さくらももこのマターリとしたギャグを選んだ。さくらももこは当時の編集担当
宮永氏のサジェスチョンがあったかどうだか分からないが、かなり「ゆかい」路線を
狙っていたと思う。それはそれで嫌いではなかったのだが、あーみんの狂騒路線は
捨て難かった(笑)。そういや以前宮永氏はあーみんも担当していたというように
伺った覚えがある。彼女は筆を折って消息不明ということだ。確かにあのマンガには
狂気があった。さて大幅に話題がそれたところで「ぼさつ日記」だが、この作品からは
作者の身体的なコンプレックスの強さを窺い知ることができる(苦笑)。そして作者の
知的な側面も伺い知れる(カフカをネタにしたり・苦笑)。とどめには回を追う毎に
手抜きになっていく脱力なギャグの感じがたまらない。明かにやっつけている。傑作集の1と
合わせて読むと器用貧乏という印象を受けるが、小生の目はいささか穿ちすぎているだろうか。

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と、ここまで書いてきて倉多の「ジョジョの詩」(フラワーコミックス/小学館)を
まだ読んでいないことに気がついた。傑作集の3と合わせてこれについては明日述べる
ことにしよう。

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ちなみにいっとう最近読んだマンガは山本直樹「安住の地」2巻(IKKI/小学館)なの
だが、正しい不条理エロマンガというか、寝起きに忘れられない悪夢のような微妙な
終わり方だったことをここに記したい。おそらくどうまとめるべえか、と思案の末
あんな風になってしまったのだと思いたい。見る人によっては「やっつけ、ここに
極まれり」と言う人もいるだろう。「安住の地」は、端っこのほうで世界観が「ビリーバーズ」と
連なっていたこともあったので、当初からこの結末は計算に入っていたのかもしれないが。