所用時間1時間のテキスト



夕方から、まろんさんちへ行く。ささやかな日常のビバークという感じがする。
しかしまろんさんも、ひとにビバーク気分で来られたら、さぞやっかいだろう。
そこらへんは、ひみつなのだ(書いているけど)。しかし「遊びに行く」ってのは
気分がイイね。学生なんて、年中遊んでるようなもんだろ、といわれれば、その通り
なんですが。少なくともぼくは、遊ぶのが大好きで、勉強するのが嫌いな大学5年生。
しかし、遊び方をあまり知らない。ずっとひとり遊びが好きだったから。うう…。
そうです、地味な遊び好きなのです。図書館とか公園とか本屋とかレコード屋とか…。


地味なひとり遊びといえば、ぼくは、なぜか自作コンピ盤を作るのが大好きで、
レンタルしてきたCDから気に入った曲を選んでは、WAVEファイルにして、選曲を
したりしなかったり(しなくても案外面白いものだ)したものを、ときどきRに焼いて
楽しんでいる。しかし去年いささか作りすぎたので(バイトでがんがん働いていたので、
羽振りも良かったのです)、今年はあまり作らないようにしている。


適当にプレイヤーに入れたRをランダムで聴いていると、ちょうどまろんさんちの
前のデニーズのあたりで、松浦亜弥の「桃色片想い」がかかった。ちょうど夕焼けの
時分で、なんだか夏の匂いもするし。思わずぐっと来て泣きそうになってしまった。
信号が変わるのを待ちながら、イヤホンの中で溌剌にうたう乙女にぐっときてるのは
ちょっと恥ずかしい。自転車も歩行者もくるし。ぐっときているのがばれないかどうか
ひやひやした。しかしぼくはひやひやしつつもこの曲はサーフィン/ホットロッド風の
味付けだということに初めて気がついていた。サビへ至るメロディの上昇曲線がすごい、
これは本当にポップだ!と改めて思った。シカゴの「サタデーナイト・イン・ザ・パーク」にも
匹敵する強烈なポップさだと思った。シカゴの「サタデー…」のコード感はちょっと
ジャズっぽくてかっこいいのだ。「桃片」は別にジャズっぽくないけどイイネ!


まろん邸でめざしをかじりながら、「サンダーバード」と「ひょうたん島」を観る。
激しくイイ感じだ。実際はふたりでテレビを見つめながら、いろいろツッコミを
入れているのだが。うーん。なんだか高校生にでもなった気分だ。しかし、ぼくが
高校生のときは、こんな感じはなかったな。友達の家でご馳走になりながら、テレビを観る、
なんてことは少なくとも無かった。でもなんだか懐かしい気分がする。うそんこのデジャブ感だ。


テレビ番組のせいもあってタイムリープできたのかもしれない。なにしろ、ぼくは小学6年の
とき、大の「ひょうたん島」好きで、学校から帰ってくると、おやつのパンをかじりながら、
「ひょうたん島」を観て、それから駅まで猛ダッシュというの儀式を毎週律儀にこなしていた。
なぜ「ひょうたん島」が終わってから駅へ急ぐのかというと、それは隣町の塾へ通っていたから。


最近ノスタルジーということではなくて、自分の今までを振り返ることがあったのだけど、
ぼくが今までとってきた大切な選択というのは、常に「いかに最小限の努力で(努力しないで)
嫌なことから逃げるか」(好きなことだけしたい)という動機にもとづいて行われていて、
われながら、ちょっとあきれた。ぼくの嫌いなことばは、努力、忍耐、競争だ!おまけにイヒヒ
俺は快楽主義者だぜといえるほど快楽にも貪欲じゃなかったりする。うーんなんともわびしい
どっちつかずのなまけものだ。今まではなんとかやってこれたけど、これからはどうだろな。


大きく脱線してしまったけれど、その後(「ひょうたん島」を観た後)消音したテレビを
点けっぱなしにして(「ロミオ・マスト・ダイ」という故アリーヤのプロモーション映画が
やっていた。内容なんてあるようで無い)音楽をひたすらかけていた。ぼくとまろんさんは
ところどころ適当な吹き替えをして遊んだ。〆はサンタナで決まり。今年の夏はサンタナ
くるかもしれない。


終電にはいつも間に合うけれど、深夜だと家に着くまで1時間半かかることに初めて気づいたぼくは、
ちょうど読み途中の野田努の本に影響されて、今爆音で聴いているDCPRGの音楽を、
デリック・メイに聴かせたら彼は何と言うだろうか、ホワン・アトキンスに聴かせたら?などと
詮無い妄想に耽りながら家路を急いだ。深夜の空気はどこか初夏の色をしていた(三文小説ふう)。