クチュリエールのエクリチュール

バーナード・ショウが1916年に書いた『ピグマリオン』という作品を、アラン・ジェイ・ラーナーと
いうひとが、アダプトして、『マイ・フェア・レディ』という映画が撮られた。主演はオードリー・
ヘップバーン。封切りは1964年のことである。これは、もともと舞台作品としてブロードウェイで上演されて
いたらしいが、詳しいことは知らない。ただ映画になるほどだから、誰かが「もうかるぞ映画にしよう」と
決断したに違いなく、きっと人気があったのだろう。


要はその台本というのか、戯曲風のテキストを読む授業があるのだけれども、担当していた先生が
癌で入院(!)して今日代わりの先生がやってきた。金沢市を県庁所在地に持つ北国と同じなまえを
苗字に持つ女性の先生でスコット・フィッツジェラルドが専門だという。いま、博士論文を書いているそうで、
それは『夜はやさし』についてだそうだが、この先生が、実に多弁で、朗らかで、魅力的な先生が
いつもどこかそうであるようにきちんと適度に浮世離れした感じがあって、おもしろかったのだけれど、
同時に部位的に癌が手術困難であるという前任の男の先生(まだ50にならない助教授である)は、いつも
いらいらかりかりして疲れた顔をしていたけれど、そうか癌だったのか、と思い、癌であるのが自分から
さして近い人間ではないから、中くらいの同情を持ってしまった。いつも不機嫌そうだったことと、病魔に
侵されていたこととの相関性に、いちいち学生は思いを馳せるかどうか。そうする学生もいるだろう。
少なくとも、ぼくはそのひとりであり、では「あの先生の命をどうか神様」と祈るかというとそのように
思うわけでもなく、祈るための神も居らず我ながら薄情であるが、まあどうしようもないしな、と苦笑した。
ひとが死に際して何を思うか、というのはやはりブンガクの一大テーマだと思うのだけれど、それにしても
文学部の授業というのは、贅沢なものだよなあ、などと黒板を見るでもなく、ぼんやり考えていた。


一ヶ月ちかくほったらかしてあった卒業論文を清書しようと考え、ソシュールフーコーやメルロ・
ポンティの本を、地元の図書館で借りて帰ったが、ああ、まったく読む気が起こらないのである。
結局、ぼくがいましたいことはダダの先駆性を、構造主義的な視点を援用して、補強解説し、それらしく
起承転結をでっちあげる、という作業なのだが、ああなんて文学は信仰なのだろう、と思うことばかりだ。
「それらしく」言っているのは、マイスター精神分析のフロイド博士然りで、文化は、女と性交できない
男たちが、その欲望を昇華させて築き上げたものだ、と言っているくらいだ。フロイドのもつ権威が
みうらじゅんにはないので、彼のうさんくささが際だつだけであり、『D.T.』という「文化系男子の
マニフェスト」(風街まろん氏言)は別にいま始まったことじゃなくて、ホモ・サピエンスがこの世界を
うろつくようになったその前後からの話なのである。それをこの200年くらいの人間は「発見」したので
騒いでいるのである。人の世は、実におもしろい。


しかし、最近の「童貞」言説研究の隆盛というのはなんなのだろうか。不景気になると「ガハハ」
(ガウンとワイングラスと葉巻と美女)に対する強烈なやっかみ精神が売れに売れるのだろうか。
なにはともあれ、おもしろい本が沢山世に出てくるのはうれしく楽しいことである。成功とか不成功とか
出世とかリストラとかモテとか非モテとか、いろいろあるので実に飽きないではないか。いや、きょうも
帰り中央線快速が人身事故で停まっていたから、「飽きない」なんて気軽には言えないのだけど。