イエス・キリストの誕生について



神よ、神よ、なぜわたしを見捨てたのか



キリスト



イエス・キリストが12月25日に生まれたという確証はない。生まれた年にしても、いちおう彼が生まれた(であろう)年を紀元1年としてみたのだが、
どうやらその「紀元1年」より前に生まれたのではないか、というのが大方の筋だ。
ぼくが中学に通っていたときは、聖書科の先生は「キリストは紀元前4年に生まれたことが最近の研究調査の結果分かっています」と言った。
当時無邪気だったので「なぜ先生は神を信じるようになったのですか」と問うと「それは救いを求めてのことです」と先生は答えた。
「なぜ救いが必要なんですか」と問うと「救いは、やはり求めなければいけないでしょう」とまじめな顔をして答えた。
仕方ないので、絶句してそれ以上訊ねるのをやめにした。いくら訊ねても納得できる答えは返ってきそうにも無かったから。
いま思うと、確かにこの世はあんまり救いが無いね(苦笑)。そんなのしょうがないと思うけど。
ぼくはどちらかというと「色即是空 空即是色」とかそっちのほうが好きだ。仏教って現象学っぽいし。


さてキリストの誕生日だけれども、いちばん信憑性が高いといわれているのが
紀元前7年説で、これはベツレヘムに向かった東方の三賢者が見た星座の位置からいろいろ計算が行われたらしい。


キリストはエルサレムで、パリサイ派ユダヤの司祭たちの堕落を批判し、それをユダが天命に従って密告(彼は金で人を売るという
極めて象徴的な悪を演じ、しかもキリストが死罪になった後、泣いて後悔するという小悪党ぶりがぼくは大変好きである)、
4月7日(どういった暦に基づいているのか定かではない。グレゴリオ暦か)、十字架に架けられて、午後の3時頃死んだという。
手足を釘で打ち付けられ、どうやら槍で突かれて殺されたらしい。なかなかザンコクだ。でもよみがえっちゃうんだよ。うーんマンダム。すげえな。
殺された年も、紀元28年だとか、30年だとか、諸説あるらしい。どうでもいいって?
まあ、ここらへんのことは「マタイによる福音書」に書いてあるので興味のあるひとは、読んでみてください。
クリスマスの由来については、「クリスマスの由来」でぐぐるとたくさん出てきますので、このへんで。
よいクリスマスを、異教徒のあなたにも(苦笑)。