第1章 ことばを殺す装置としての戦争 1-2 ことばがことばを「殺す」構造



 わたしの生きる21世紀にも戦争はある。誰かが「この「戦争」は終わった」といっても、戦争はなかなか終わるものではない。



 2003年3月17日、米国のブッシュ大統領は米国民向けのテレビ演説で、「イラク大量破壊兵器(Weapons of Mass Destruction:核兵器生物兵器化学兵器の総称)を保有している」と断言し、「これらの兵器が国際テロ組織に渡る恐れがある」(http://www.yomiuri.co.jp/features/woit/200303/wo20030318_41.htm)と述べた。ブッシュは、フセインイラク大統領の国外退去を要求したが、イラク国民議会は全会一致でこれを拒否したため、米英軍は、米国東部時間の19日から、イラクへの攻撃を開始した。攻撃は、イラク国内に保有される大量破壊兵器の探索発見と同時に、そのような兵器を隠匿しているフセイン政権打倒を目的とした。しかし、米国の攻撃によるフセイン政権崩壊(2003年4月9日、米軍によるイラク首都バグダッド制圧)後も、大量破壊兵器と呼ばれる兵器はイラク国内から見つからなかった。

 2003年7月。英国国防省顧問であったデビッド・ケリーが自殺した。彼が死ぬまでに、まず「イラク大量破壊兵器問題に関して英国政府が情報操作をしている疑いがある」ということが報じられた。つまり、英国政府はイラクには大量破壊兵器など「ない」と知っていたけれど、「あるかもしれない」と言って、それをイラク戦争に加わる理由にしたのではないか、という疑いが生じたということだ。その後、ケリーが自殺し、その理由は、彼がその「疑惑」に答えられないプレッシャーであったと報道された。

 英国政府が大量破壊兵器に関して、情報操作をしていたかどうか、その真偽はここでは重要でない。そしてまた、ここではケリーがいかなる理由で死んだのかも重要ではない。とにかく、国防省の元顧問が死んだ。彼が死んだことはきわめて重要である。そして、彼を殺したのがことばであったことがよりいっそう重要である。なぜなら彼のなかにあったかもしれない「国家機密を守らねばならない」という気持ちも、あるいは「国家機密であるが、これを言わねばならない」という気持ちも、あるいはそれ以外にあったかもしれない彼が命を断つ理由さえもことばによって考えられていたからだ。

 「イラク大量破壊兵器に関して英国政府が情報操作をしている」ということは「国家機密」である。そして、おそらく「国家機密」ということばが彼を殺した。なぜならケリーは「国家機密」ということばを信じている以上、彼はそれを口にすることができないからだ。「国家機密」ということばを信じていることは、彼の立場にあって、「国家機密」が「国家機密」であること自体を信じている。彼が「国家機密」を口にすれば、その「機密」を抱える「国家」をも信じていないということになる。彼はそれまで「国家機密」を、そして「国家」を信じて生きてきた。あるいは、生きて来ざるを得なかった。ケリーが国防省の顧問であったということは、彼の持つそのような側面を示唆している。だから彼は死ぬことができた、あるいは否が応なく死んだ。「国家」を信じていない、「国家機密」など信じていない、と言うことを、彼はことばによって封じられたのだ。国家や国家機密が彼を殺すのではない。「国家」や「国家機密」ということばが彼を殺したのだ。


 わたしたち人間は、その存在する条件(時や場所、状況)が異なれば、大なり小なりことばのもつ暴力の前に、無力であることを余儀なくされる。


いま、かりにある高校生が、日本の高校の教室におり、そこで彼が友人との約束を破って友人の秘密を暴露したとする。すると、「信頼を裏切った」としてしばらく友人たちから無視されるかもしれない。だか、彼はとくに死なずにすむであろう。仮に集団による無視から自殺が起きて、彼がそこで死んだとしても、その影響が実際に及ぼされる場所は狭い。ごく中心部は、彼の家庭や友人や彼の属していた学校、地域社会であろう。そしてその周縁に、日本国内の他の地域が位置することになる。むろん、もろもろの条件によって異なるが、メディアの力によって、日本の高校生がひとり死んでその影響を実際的に及ぼす場所はおおむね「日本国内」であろう。

 しかし、この高校生に比べて、ケリーのいた場所は、英国という「国家」であった。そして彼の抱えていた約束は「国家機密」であった。そして、ここでの問題は、彼は「国家」と「秘密を漏らさない」という約束を結んだことだ。

 「国家機密」は国家と、それを知っている一部の者のあいだにとりかわされる秘密の約束である。そしてクラスメイトと違って、「国家」は具体的に目に見えない。おまけにその「国家機密」は戦争に関するものだった。イラク戦争は、英国とイラクの間に起きた戦争ではなく、米国とイラクの間に起きた戦争ということになっている。英国は米国との約束(同盟関係)があるので、その戦争に協力したのだ。それはとりかわされた約束の重要性がきわめて複雑さを増したことを意味する。なぜなら米国はこんにちの世界で大きな力を持っているからだ。米国の判断を「正しい」と認めるか認めないかで損をしたり得をしたりする国がとてもたくさんある。そしてその国々がまたそれぞれ利害関係で結ばれている。そんな状況の中で、大損をしたくなければ、米国と利害を共にする英国が戦争をはじめた理由を「実は嘘だった」と告げることは決してできない。「実は嘘だった」と告げることができない以上は、あくまでも、しらを切りとおすか、「大量破壊兵器はあると信じている」と言いぬくか、あるいはどこかに別の問題を起こして、「大量破壊兵器」にかかわる(すなわち戦争に加わった理由が真であるか偽であるかという)問題からひとびとの目をそらすしか方法はない。

 英国政府は、世界との信頼関係と、ケリー個人との信頼関係を、てんびんにかけ、世界との信頼関係をとることにした。結果的に、ケリーは自分が信じていた「国家」に裏切られるかたちとなった。彼が「国はわたしを守ってくれなかった(わたしの代わりに言い訳してくれなかった)」と思ったのか、あるいは「しかたない。国を信じてここまでやってきたのだ。死のう(約束は守らねばならないが、生きたままではどうしようもなくつらいので、楽になりたい)」と思ったのか。彼は二度と口を利かないので、定かではないが、おそらくそのどちらでもあったかもしれないし、どちらでもなかったかもしれない。とにかく、彼はおそらく(ことばによって)考えるのに疲れて死んだ。それだけは確かであるといえる。「国家機密」を持っている「国家」が彼を殺した(=裏切った)と同時に、彼も「国家機密」を持っている「自分」を殺さざるをえなかったのだ。ここで、英国政府の代表が責められるのはごく自然なことである。それは、無言のうちにケリーに死を選択させたのが、「国家」すなわち英国政府であることが、構造的に明らかだからである。「政府」という組織の頂点にいるトニー・ブレアの責任を問う者は、国家がケリー個人を裏切ったということを重視し、彼の責任を問わない者は、ケリー個人の死よりも米国を中心とした世界(の多くの国々)との信頼関係を重視するのである。

 わたしは彼の死に「情報操作はあった」というメッセージを受け取るが、彼がことばでいったわけではない。たとえ、彼の死が自殺であろうと他殺であろうと、あるいは遺書があろうとなかろうと、生きた人間によることばであらわされない自己弁護がどれほどの力をもちえようか。死者は生者より圧倒的に無口である。だから、たとえ彼の遺書があったにせよ、それは残念ながら、ほとんど無力だ。すでに生きている者の判断で破り捨てられたかもしれない。あるいは公開までに数十年かかるかもしれない。

 養老孟司は次のように言う。


 私はいつも、歴史がなぜ可能か、という疑問を持ち続けて来た。ただいま現在のことすら、理解がおぼつかない。しかるに、そのおぼつかない現在が、過去に変わると、ものごとがあんがい明確になるらしい。そこがどうも、いま一つ、納得がいかない。死んだ人間は、文句を言わない。それが歴史を可能にする要件かと思ったこともある。


養老孟司『身体の文学史』p.9、2001年、新潮社


 確かに、生きている人間の発する、傲慢なことばの前に死者の沈黙はほとんど無に等しい。わたしたちの生きる世界で、ことばにならない気持ちは無いのとほぼ等しい、あるいは無いものと等しく見なされることが多い。ゆえに、死者は、ほとんど生きている者に裁かれる。死者が生きている者を裁くということはまずないのだ。歴史には正史も偽史もなく、それは単に生者たちの所有物である。なぜなら、歴史はことばによってしか認め得ないものだからである。

 竹岡俊樹によれば、彼の認める歴史とは次のようなものだ。


 石器研究はここの遺跡から出土した石器や切片などの資料を徹底的に観察し、資料そのものからかつて存在した文化を再構築してゆきます。それは文化は個別的であるとする私たちの考え方なのです。同じように欧米の学者の学説などを用いて資料を解釈するのではなく、資料そのものから文化を復元し、その根底にあるものを知る。


竹岡俊樹『「オウム真理教」完全解読』p.275、1999年、勉誠出版


 それが、「文化分析」であり、彼の考古学研究の方法論であると竹岡はいう。彼は文化について話をしている。しかし、文化史というのは、人間存在の文化における「歴史」に違いない。誰もが竹岡の言う「私たち」、すなわち考古学者であれば、少しは世界も明るくなりそうだ。しかし、「徹底的な観察」をすることが必ずしも得策ではない場合がある。やや厳密に言えば、「徹底的な観察」が得策ではないと判断される場合がある。それは誤審といっていいが、「杜撰な観察」を欲望するひとも多く、彼らの思慮深さの欠如が結果的に状況を闇へと導くことも多い。端的に云えば、ひとは自分が得をしようと思って、しばしば嘘をつくということだ。そして、死んだ者は得をしようと思っても、嘘をつくことができない。得をしようと思う以前の問題で、ただ、彼/彼女は、そこに死者としてあるためだ。死人に口無し、とはよく言ったものである。

 先の高校生の喩えと、ケリーの死とを比較してわかることは、ことばによって生まれる暴力(ことばに支配される人間が、そのことばの支配下に死ぬこと)の大きさは、それぞれがおかれた諸条件によって左右されるということである。その諸条件が、ことばがどのあたりまで届くかということを決定する。ケリーの生きていた、2003年7月という時、地球上の英国という場所において、イラク戦争は「過去」ではなかった。そのような条件の下、ことばが彼を支配していたから、彼は死んだのだ。「暴力」はもちろんのこと、彼の「死」もまたことばによってあらわされる。「暴力」は彼の「死」によって、ある程度ひとびとに開示されるが、それが詳らかであるとはいえない。加えて「死」は、今なお、かたく沈黙を守っている。

 ケリーの死を通じて、ひとの発することばを無力にする、その最たるもの(最大の暴力)が世界規模での戦争と言えることを、わたしは知った。世界規模での戦争とは、世界の各地でミサイルが飛び交うことだけではない。むろん、ミサイルや地雷や毒ガスが人を殺傷するのだが、同時に世界中に影響を及ぼすちからをもつ「戦争」ということばについて忘れてはいけない。おおぜいのひとが生きる、ある特定の時間に、世界の多くの場所で、ことばによって、ことばが殺されること。それが「戦争」である。具体的にイラク戦争の例で言えば、戦争をはじめた理由が次々とすりかえられていったことを忘れてはならない。ひとびとは日々、「あれ、何かおかしいな」と疑問を感じながら、生活に忙殺されていく。そのような疑問を抱き、その問題点を考え続けることは、とても難しい。しかし、忘れやすいことを忘れないよう務めてみるのも、ひとの生活というものではないだろうか。

(1-3につづく)