第2章 フーゴ・バルについて 2-3 作品「KARAWANE」の検討



 1916年に朗読された、音響詩「KARAWANE」にふれる前に、バルが抽象表現を志向したきっかけについて少し考えたい。彼の人生において、カンディンスキーの存在は大きい。カンディンスキーの「諸芸術総合」という壮大な理想は、かつて、ワグナーが夢想した「総合芸術」にも通じるものがあったろう。
 1896年、カンディンスキーは齢30にして画家になる決意をした。彼は、エストニアの大学から教授職に招かれていたが、モスクワからミュンヘンへと移る。この年にボリショイ劇場で、ワグナーの「ローエングリン」(1847年完成)を見たカンディンスキーは次のように記している。





 私にとって、バイオリン、ファゴット、そして特にすべての管楽器は、黄昏のひとときがもつあらゆる力を具現していた。私は、私のあらゆる色彩を見たように思った。私はそれを目の前にしていたのである


アンジェロ・デ・フィオレほか、石原宏、池上公平訳『絵画の発見15 カンディンスキー/モンドリアン』p.4 1993年、学習研究社


 音楽に色を見たカンディンスキー。彼は、創作において音楽や言葉といったものを絵画表現であらわそうと試みた。「諸芸術総合」という理屈以前に、彼のそこはかとなく、かつ清廉な叙情性のある抽象絵画には、ふしぎなユーモア感と、表現に対する真摯さが感じられる。彼には『芸術における精神的なもの』という理論書があるが、その作品(1910年代に描かれたインプロヴィゼーション26、35、コンポジションⅥといった作品)を見る限り、彼が理論に拘泥する人間ではなく、絵画表現の実践ありきであった人間であることが分かる。


 さて、高辻知義はワグナーの「総合芸術」について次のように解説する。





 ここで彼の考える「未来の総合芸術作品」は一種のユートピア的形象であり、総合性は芸術ジャンルだけではなく、その創造に携わる集団的協力者(芸術家)の総合でもある。超エゴイストであるワーグナーが説くと奇妙だが、人間が社会の分裂をもたらすエゴイズムを克服して「共産主義者」(同志的結合による協同体人間を指す)になるように、個々の芸術も孤立から救い上げられて未来の芸術作品に総合されるべきだと言うのであり、未来の詩人(つまり未来芸術の創造者)は、音楽と文学と舞踏とをドラマに奉仕させる任務を与えられるのである。


高辻知義『ワーグナー』p.90 1986年、岩波書店


 器楽は、ことばにならない感情感覚をメロディ、リズム、ハーモニーといった要素を組み合わせることで表現する。音楽が文学と比較して、より抽象的な表現であることはあきらかだ。その文学と音楽を併せた表現−それは音やことばを描こうとしたカンディンスキーの絵画であったりしてよい−が、バルの夢想した抽象と具体の幸福な結婚であろう。ダダに加わる以前のバルは、大学を辞め、演劇に己の生きるべき道を見出した。演劇に「諸芸術総合」という壮大な夢を託す若き日のバルは、人生そのものの実現可能/不可能のスリルに震えるような、心熱き青年であった。
 ただ、バルに宿った「諸芸術総合」の夢は、第1次大戦の勃発と共に、露と消えてしまう。戦後も、バルのなかに、「抽象と具体とをどう融合させるか」という課題が常にあり、ダダにおける彼は、若き仲間にも触発され、戦争で砕かれた「表現主義劇場」に変わる何らかの「劇場」を打ち立てたい、という情熱も消えずにあったに違いない(だから、彼は1916年2月5日「キャバレー・ヴォルテール」を開いた)。


 バルは芸術に対する判断を次のように言う。





 行為のほうが、実験よりもはるかに重要だ。抵抗物を見分けること、それには鋭敏な眼がありさえすればよい。そのほか、抵抗物に浸透し、それを解消するには、造形力が前提となる。ひとつの問題のほんとうのむつかしさと独特な点は、最終的な決めてが要求されるところで初めて生じてくる。ダンディは、そのような決めてを一切嫌う。決断を回避しようとする。ダンディは、自分の弱みを告白するよりは、むしろ強さを野蛮さとしてこきおろすことに興味を覚えるだろう。


フーゴ・バル 『時代からの逃走』p.133 1975年、みすず書房


 彼は、「造形力」として、「抽象」をアクチュアルな表現で伝達することを考え、その実践として、1916年6月23日、音響詩のパフォーマンスを行った。「文学」における「実験」は、それが発表されなければ、まるで評価されないということは言うまでもない。机下に留まる原稿や発表されない無数の「実験」は、他社の目に触れないので、評価を受けることもない。うまく書けた手紙だ、といって、ひとり惚れ惚れと読み返しても、投函する勇気がなければ、それは彼/彼女以外にとっては書かれなかったことに、ほぼ等しい。
 芸術のみならず人間活動において、ひとびとはいつも、誹謗中傷や無理解に耐える覚悟で「実験」してきた。バルの言うダンディとは、ほとんど「節度」であり、彼はただ、それをひとびとの前に投げ出すことを考える。「実験」の「行為」そのものに美的感覚を見出したバルは、その判断や評価を観客にゆだねることを決意した。彼にとってのダンディとは、おそらく「詩(ことば)」に向かう彼の姿勢そのものであった。


 ところで、ダダは、ダダ運動であったといわれることがある。しかし、もし、それが「運動」、つまり、ある特定の目標を目指して、個の連帯を信じる組織活動であったなら、バルの人生が、彼の理想と合致したかどうかはわからないが、もう少し彼に笑顔が多かったかもしれない。ただ、ダダとはなんであったか。ダダは少なくとも運動ではなかった。また、運動になれぬほどの、真摯な政治性がそこにはあった。言い換えれば、みなが好き勝手やって、解散してしまったサークルがダダなのである。
 そこには、「ことばにならない何か」(抽象)を「ことばであらわそう」(具体化)とする、ときに不敵で、屈折し、理解を拒絶しようとする(ように見えてしまうよう)なポーズがあり(ひとは、しばしば、彼/彼女の振る舞いそのものを、そのひとである、と認めるものだ)、ダダは決して「運動」にはなり得なかった。「無意味」(non sense)を主張する困難さがその理由の根底にある。



 純然たる抽象であるものと具体的なものとをわける基準。抽象の危険は、いつだって叫ばれている。それが何かを了解するには、基準が必要なのだ。この基準はめいめいの意識のなかにある。語る主体の感情にあるもの、何らかの度合で感じられているもの、それが意義である。それなら、こういっていいことにならないか。現実的に具体的なものを言語の中に捉えるのはまったく容易ではないが、それは感じられているもののことだと。そしてそれが、何らかの度合で表意的であるものにひとしいのだと。


フェルディナンド・ソシュール前田英樹訳注『ソシュール講義録注解』p.69  法政大学出版局、1991年


 多くのひとは、「意味」を求めることに対してはわりあい努力を惜しまないが、「無意味」の「意味」を求めることは、多くの場合、興味の範疇にない。仮にひとたび、「無意味」の「意味」に思いを馳せても、「無意味」の「意味」の探求を継続的に行う者は、さらに少なくなるのが必定だ。多くの人は、仕事に忙しく、「無意味」の「意味」を考える精神的余裕が無いし、そのような探求に深く遊んでしまうと、おそらく仕事を続けることがたいへんむつかしくなるに違いない。
 ダダの不器用な純朴さにたいして、コモンセンスという名の分別を信じるひとびとが理解に苦しむのは当然であるし、多くの人々は、おいしい食べ物や、美しい洋服、すてきな伴侶や子供、そういった生活(意味)を目指して暮らそうとするので、あまり「音声詩」にも興味を持たないだろう。彼らのうち、いくらかの敬虔なひとびとは、食前に神仏へ感謝の祈りをささげるかもしれないが、バルの「音響詩」がそのような「祈り」にも近いことにおそらく多くの人は気づかないのではないか。



 もし私たちがことばの概念的意味とか事項的意味のことだけを考えるならば、確かに言語形式は――語尾は例外としても――恣意的だと思われてくる。しかし、私たちがことばの情動的意味を考慮にいれるとなると、事情は変わってくるだろう…(中略)…このとき、さまざまな語や母音や音韻は、世界を歌うそれぞれのやりかたであること、そしてそれらは、対象を再現前させるよう仕向けられているのだが、それはオノマトペの素朴な理論が信じているように、対象の(語との)類似によるものではなく、それらが対象から情動的本質を抽出し、それを表現するからであるということ、こういうことを見出すであろう。


『知覚の現象学』(メルロー=ポンティ)


 ダダとしてのバルの後期作品である「KARAWANE」(画像)は、くしくものちにメルロー=ポンティが指摘する「オノマトペの素朴な理論」への信仰に基づいたものといえる。思えば、彼の妻は、歌手であり、バル自身も彼女の伴奏者としてピアノを弾いていた。「オノマトペの素朴な理論」とは、うた、あるいは音楽を信じることにかなり近い。音楽は、楽音やリズムといったものを信じて表現するからである。
 「KARAWANE」は隊商の更新を音の響きで描いている。音楽に対する批評や、絵画に対する批評が、文学に対する批評よりはるかに困難であることがわかるように、この「KARAWANE」という作品は、読者が声を出して文字列を読み、作品に「参加」しなければ、その価値を知ることが難しい。ああ、おもしろい、と言って笑えるか、これは詩ではない、と打ち棄てるか、悪くないと思うか、さして感銘を受けないか、それがまず大方の読者のとる態度であろう。 


 丸山圭三郎は詩人について次のように言う。



 詩人たちの営為は、関係が物化して私たちを支配し操作する日常の表層世界、一義化され極度に合理化されている制度、画一化された価値観、等々を否定する実践であり、・・・・・<異化>という芸術手法、すなわち私たちの無自覚的、惰性的生活において信号の様相を呈している言語によって、心身が自動規制化され条件反射の道具に成り下がっている人間を、蘇らせる試みとも言えよう。


丸山圭三郎『言葉・狂気・エロス』p.103 講談社、1990年


 丸山が指摘するとおり、バルはこの点において、まさしく詩人の営為を深く実践したのであり、音響詩という詩の創作における究極的な方法にたどり着いたことからも、彼が「ことばを蘇生させる」ことを目指したと判断できる。この「KARAWANE」に、ことばを信じるバルの力強い、そしてささやかな決意をわたしは見出したい。


(3-1につづく)