ダブルDJショー 出演:筒美京平、小西康陽 (NHK-FM)
「恋のルール・新しいルール」 (ピチカート・ファイヴ)
<日本コロムビア CODA−1404>「ABC」 (少 年 隊)
<COLUMBIA/READYMADE
COCP−34575>「また逢う日まで」 (尾崎紀世彦)
<PHILIPS PLD−8026>「木綿のハンカチーフ」 (草野マサムネ)
<UNIVERSAL MUSIC UPCH−20031>「きらめき」 (野口 五郎)
<TAURUS 34TX−1079>「飛んでイスタンブール」 (秋川 雅史)
<UNIVERSAL MUSIC UPCH−20031>
ほか
- 60年代末〜70年代にかけて多作、濫作が求められた=時代の要請。テレビの台頭。作曲家=メロディを作るひと。意識したのはサウンド (筒美)
- CCB「ロマンティックが止まらない」(→YouTube)をリミックスで輪唱にしたら「バラ色の雲」(YouTube/ヴィレッジ・シンガーズ)に近付いた。野口五郎「たそがれ」*1が好きだった(小西)
- 作曲家は、70年代始めまでは歌手にレッスンをつけるものだった(筒美)
- 1ヶ月に40曲くらい書いてた時期があった(筒美)
- シングル7400万枚売上は日本一(アナウンサー)
- サウンドは洋楽にお手本があるけど、メロディは日本人が好きな感じに「戻した」から洋楽ファンから見ると怪しい感じ(筒美)。それが天才だと思う(小西)
- 1997年「恋のルール/新しいルール」(→YouTube)
- 郷ひろみ、平山みきが好き。変わった声(悪声)の持ち主に興味があるか(小西)→声もサウンド(筒美)
- 洋楽が好きだけど、洋楽に成り得なかった。声を楽器(サウンドのひとつ)として取り入れた(筒美)
- 洋楽のディレクションは「セレクター」(筒美)
- 知り合いに「ジャズはポップの墓場」と言われたので、ジャズは好きだった(大学時代はジャズピアノを弾いていた)けど、良く聴かなかった(筒美)
- 常に新しくいようと思って、新譜を月に何十枚と聴いた(筒美)
- ヒット曲を作ることは、新しさを取り入れなければならないから、好きで聴くということとは違う。好きで聴くと良いのは本当の音楽家だと思う(筒美)
- 「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)は何度も詞が変わった(筒美)
- 「ぼくはすぐ諦めちゃう。執念がない」「男の詞は曲が書きやすい」(筒美)
- 作詞家と作曲家はどうやって関わっていたのか(小西)
- 打ち合わせ、スタジオで会う。次第に作詞家のもつ言葉のリズム感が分かってくる(筒美)
- 阿久悠は詞を変えるのをたいへん嫌がった(筒美)
- 2007年夏に発表した筒美トリビュートアルバム*4には、山崎まさよし、ボニー・ピンク、秋川雅史が参加
- 少年隊「ABC」(の楽曲/→YouTue)はモダン、現代的な構成(小西)
- (小西のリミックスアルバムを評して)少年隊、C-C-B、ピチカート(のリミックス)は素直に聞こえる。ふしぎなものもある(筒美)
- 「サザエさん」はぼくの作った曲の中でも最も古い部類(筒美)(「サザエさん」フルコーラスかかる)
- 「筒美京平という人物は実在しないのでは。作家チームの名前では」という都市伝説があったが、今どう思うか(小西)
- ヒットすることに殉じる、自分は黒子に徹する。顔を売らないというのが信条だったが、そういう考えかたは偏ってるのかもしれない(筒美)
- 現役でいられたのは20周年まで。イカ天ヒット後、職業作曲家の名前はヒットチャートから消えた。生き残ったのは、秋元康。松本隆も消えた
- イカ天を称えることはできないけれど、当時の若者たちが欲したものがそこにあったのだろう(筒美)
- 「強い気持ち/強い愛」(→YouTube)のリミックスは「歌手」小沢健二への嫉妬心がほのかに感じられる*6(ウツボ)
- 「渋谷系」が流行ったときに、一番日本の音楽が洋楽に振れた気がした(筒美)
- わたしはミュージシャンじゃなくて、作曲家。分担作業に意味があったのかもしれない(筒美)
- 編曲について
- いつもの自分と違うところにいける。ただし作詞家、作曲家、編曲家全員が同じ方向を向いていないと、ヒットしない(筒美)
- 現在のヒットチャートについて
- 作曲家は結局メロディメーカーであり、シンガーソングライターではない(筒美)
- のっこ「人魚」(→YouTube/リミックス?)たいへん良い(ウツボ)
- 若い作曲家へアドバイス
- タレントを自分で見つけてきて作詞家=作曲家コンビで、ゆっくりクリエイトできれば良いものができるんじゃないか (筒美)