[催]プロメテウスの音楽:ベートーヴェン2020に向けて@東京藝術大学音楽学部5-109教室



午後6時半から9時まで東京藝大音楽学部のキャンパスで「プロメテウスの音楽:ベートーヴェン2020に向けて」と題されたシンポジウムに聴衆の一人として参加してきました。今年の1月まで精力的に活動していたBuncademyの仲間から情報をもらい、この魅力的な催しに参加できたことはとても良かったです。

シンポジウムのパネリストは、フランツ・ウェルザー=メストさん(指揮者)、マーク・エヴァン・ボンズ氏(音楽学者)、そして近藤譲先生です。通訳は楽理科の教授福中冬子先生、司会は土田英三郎先生でした。ちなみに土田先生はボンズ氏の著書『ソナタ形式の修辞学』(原書▶Wordless Rhetoric (Studies in the History of Music))を翻訳されているそうで、2018年3月ころ、音楽之友社から刊行される予定です。これは楽しみ!!

ウェルザー=メストさんはヨーロッパ訛りのある英語でゆっくりと言葉を選びながら発言される様子が印象的でした。現在、米国のクリーブランド管弦楽団が行っているプロメテウス・プロジェクトベートーヴェン交響曲全曲を指揮される予定)についてお話くださいました。プロメテウス・プロジェクトは、クリーブランドの公立学校:クリーブランド・スクール・オブ・ジ・アーツと地元の協力者などと連携して行われている教育的なアートプロジェクトだそうです。

米国からいらしたボンズ氏のお話には一番興味がありました。というのも2014年から始まったBuncademyの原書講読講座では、近藤先生を講師としてボンズ氏の『Absolute Music: The History of an Idea』という一番新しい研究書を読んでいたからです。ボンズ氏のお話はこんな具合です。
プロメテウスはみなさん御存知の通り、古代ギリシャ神話に登場する巨人であり、神々の掟を破り、火を人類へともたらしました。ベートーヴェンが19世紀に音楽の聴衆にもたらしたものもそれと同じです。彼は、リスナーに火を与え、作曲者と聴き手の関係を革命的に変えました。聴き手が音楽に参加する能動性が生じたのです。ベートーヴェンの音楽は、音だけではない。深みがあります。彼は音楽を通じて人々に問いかけているのです、そして人々はそれに応えようとする。ベートーヴェンはリスナーにファイアを与えました。ファイアは危険なものです。ですから、そこに責任が伴います。こんなお話でした。

もちろん、プロメテウスの火というのは比喩です。ボンズ氏の名著『「聴くこと」の革命: ベートーヴェン時代の耳は「交響曲」をどう聴いたか (叢書ビブリオムジカ)』にもあるようにベートーヴェンは、カントを中心としたドイツ観念論や初期のロマン主義の思想に大きな影響を受け、音楽を深く言語の問題と結びつけたわけです。そこで、音楽は作曲家だけのものではなくて、聴衆に開かれると同時に、より公共的・共同体的なメディアへと変質し、われわれが広く共有するクラッシック音楽の持つパブリックイメージを持つようになる。ぼくなりに整理すると、ベートーヴェンの登場により、音楽はより思弁的なものになり、人々はそれを単に楽しむだけではなく、学ぶ対象として見なしはじめた、ということになります。ぼくは子供の頃、ピアノを習っていたのですが、ピアノを学ぶのがとても苦痛でした。その経験をお話したら、ボンズ氏は「わたしにも同じ経験がありますよ。あなたはいまも音楽を続けているの?」と尋ねられたので、「いいえ。いまはただのリスナーです」と答えました(笑)。

ちょっと脱線しますが、ボンズ氏の『聴くことの革命』では、18世紀後半から19世紀前半に、交響曲=器楽曲と歌曲の立場が逆転していく過程がスリリングに描かれています。もともと歌詞(ことば)を持っていた歌曲がより優れたものとして考えられていたのですが、その地位を交響曲が奪ってしまうのです。その詳細はぜひ読んで頂きたいのですが、この本はヨーロッパの音楽文化がいかにキリスト教の思想と結びついているかもわかりますし、ドイツ観念論者たちの藝術観もわかる、実に示唆に富んだお得な一冊です!!!とくに近現代のドイツ哲学と文藝思潮、そしてクラシック音楽に関心のある方はお読みになると楽しいと思います。

シンポジウムすべての内容が大変興味深かったのですが、ボンズ氏の発言を中心に、いささか随想風に氏の邦訳書『聴くことの革命』に結びつけてまとめてみました。

(この記事は https://t.co/Uscg4O8uIe より編集転載しました)