[催] レクチャー:ピート・ヤン・ファンロッサム「最近の作品と日本音楽への興味」@JMLセミナー入野義朗音楽研究所



2018年2月25日(土)午後6時過ぎから、世田谷区松原に所在するJMLにて、オランダの作曲家、ピート=ヤン・ファン・ロッサム氏の最近作についてのレクチュアが開かれた。JMLは京王線明大前駅から徒歩10分ほどの閑静な住宅街に位置する音楽の学校・交流の場である。

「なぜ私たちは新たな作品を創造しようとするのだろうか?」ロッサムさんのレクチャーとその音楽はわたしにそんな根源的かつ究極的な問いをもたらしてくれた。彼はまずユートピアについて話し始めた。ユートピアという語は、言うまでもなくキリスト教と深い関係にあるし、ヨーロッパ的な概念なのだと彼は言う。時代はルネサンス期にさかのぼる。当時音楽は学問(自由七科)の一部であり、個人主義という考え方はまだ重要ではなかった。時代が下り、19世紀。ゲーテの時代がやってきた。"個人"が誕生し、音楽はより複雑化していく。彼は思いつくまま例を挙げていたが、近代化したあとの荒涼たる世界におけるアウラを失った音楽が、彼の立つ場所なのである。

「現代において最重要なのはウェーベルンの音楽である」と彼は言う。「ウェーベルン自身は第二次大戦の末期、米軍の誤射により亡くなってしまう。しかし重要なのは、彼の音楽そのものである。彼の"頭"の音楽はやがてセリー主義を生み出すことになるが、彼の音楽そのものはセリエリズムとは別に今もなお生き生きとしている」と。セリー主義の影響はロッサムさんが高校生の頃―1990年代まで―オランダでは支配的であり、ロマン主義的作風は抑圧されていた。しかし現在、この5年位のオランダではその作風が復権しており、お金にならない現代音楽を排除する傾向がある。これは資本主義と大きな関係があり、現在のオランダに限らないこと(米国、ドイツ、韓国、日本…も同様)だろうと指摘された。

彼の話は、ピアノとオーケストラのために書かれた作品「A Young Woman Came Up To Me」(2014年)に移る。この曲の作曲に大きなインスピレーションを与えた書物として、バニヤン天路歴程(原題:The Pilgrim's Progress)』(1678~1684)とC.S.ルイスの小説『The Pilgrim's Regress』(1933年)が挙げられた。『天路歴程』は、プロテスタント教会の中で最も読まれた宗教書と言われる寓意物語であり、クリスチャンという名の男が破滅の町から天の都までを旅する形式で、信仰に生きてゆく困難さを描いている。ルイスはこの作品の現代版として『The Pilgrim's Regress』を書いた。ジョンという名の男が欲望の島を探し、哲学的風景の中を巡礼していく彼の処女小説である。また、音楽作品としてはチャールズ・アイヴズの『交響曲第4番』(1910~1916)が挙げられた。「第1楽章で主題提示が行われ、第2-4楽章で主題への回答が提示される構成で、宇宙、永遠性、神自身を描いている"宇宙交響曲"であり、世界のすべてを持っている作品である」というのがロッサムさんの評価である。

「A Young Woman Came Up To Me」のCDをJMLのオーディオ装置で鑑賞しながら、約40分間の間に感じたことをまとめてみよう。この作品の第1楽章では不安気な迷い子のように無垢な主題が、ピアノによって提示される。この主題は非常に重要な音の進みゆきであり、ここで示される"迷いつつ進行する/信仰する"ことが1曲を通して、時に映画的描写を交え、またユーモア、遊びの感覚、躍動感をはらんで展開していく。作風は抑制的ではあるが、決して音楽の持つ快楽性を否定はせず、ロマン主義的な、浪のようにくりかえし上昇/下降する音の連なりは、音楽の中で真の創造を探し求めている彼のひたむきな姿勢が象徴されている。宇宙の生成と死、そして時間藝術である音楽の持つ壮大さを想起させる優れた表現である。

鑑賞時間も含めて約3時間にわたったレクチュアは、最後にロッサムさんのフィアンセである佐藤尚美さんの笙による演奏で幕を閉じた。彼女の演奏は、笙という東洋の小さなオルガンで奏でられる、小さな祈りのようであった。深い精神性に裏打ちされた、彼の音楽に触れる機会が日本国内でも増えるように願わずにはいられない。素晴らしい機会と時間を与えてくれた、JMLのカジュアルな雰囲気にも併せて感謝したい。

・注 バニヤン天路歴程』とルイス『The Pilgrim's Regress』の内容に関する記述はウィキペディア英語版および日本語版の当該項目を参照し、適宜引用した。

・元の記事は https://www.facebook.com/skazuhiko/posts/10215546023065746 にて公開された。