Kitamura Kaoru

深夜、北村薫「秋の花」(東京創元社)読了。乱歩ばっかり読んでいて
おかしくなっていた我が脳みそにさわやかで強烈な一撃が加えられた(笑)。
そもそも氏の作品を読むきっかけは、まろんさんの一連の北村薫
(日記と座・読書参照)にあるのだが、この<円紫師匠シリーズ>がなかなか
近所の古本屋では揃っていないので、困ったときの図書館頼みで足を運んだら、
開架書庫にはこの一冊しか見当たらなかった次第。そんな瑣末なことは
どうでもよいのだが、久しぶりに充実した読後感を味わった一冊となった。
ちなみに「秋の花」の前には、「空飛ぶ馬」「夜の蝉」の2つの作品がある。
この後ろには、「六の宮の姫君」、「朝霧」と続くようだ。読むのが楽しみである。


基本的には、穏やかな生活感溢れる中の、日常と決して離れることの
ないレヴェルでのミステリ(まあ、むろん小説だから、ウソなんだ
けどさ・苦笑)。冒頭からあっという間に、氏の穏やかさと巧みさを
併せ持つ風景描写、人物描写にのめり込んでしまう。特にこの作品に
関しては、冒頭でモズの声により物語の幕開けをスリリングに告げ、
また、末尾でヒバリの声(聞こえたどうだかは分からないのだが
空耳であってもそれはそれでいい・演出効果のひとつだから)によって、
これからへの淡い希望を仄めかす感じもなかなかよい(聞こえたか
どうか良くわからないところが、実は一番良いなあ、と思った)。


わりとはじめの部分で突然主人公の<私>のフローベールと芥川の作品に
対して感じている印象の違いが述べられて、主人公が文学少女であるという
キャラクターを知らないと、そこだけ若干、小説全体から浮いているかな、
という気もするのだが、読み進むにつれ気にならなくなった。多少ペダン
ティックな趣が作品全体から感じられ、いかにも本の虫にアッピールする
作風だなとは思うけれど、全体の静謐で押しつけがましくない雰囲気が、
そのような作品に対するやましい心を覆ってあまりある感じ。登場人物の
女の子の容姿や服装に対する描写や、登場人物が「こくん」と水を飲んだり
する風景は、ちょっと苦笑を誘うような微熱想念が感じられるが、まあ、
ファンタジーなのだから許そう(笑)。いささかおっさん臭もするのだが。


不遜かつ稚拙ながらも解題を試みれば、この小説の主題のひとつは、
誰の心にも居残るかつての青春、過ぎ去ってしまった可能性、失われた
帰路への追想と見ることができるだろう。主人公と密接に(しかし同時に
確実な距離を置いて)関わる女子高校生2名(ひとりはすでに死んでおり、
またひとりは今深い迷いのうちにある)は、明かにその象徴である。一方の
津田は、人が若さ故に持っている可能性やきらめきを端的に表す存在であるが
ゆえに、作品内の時間の流れと共にその舞台を去らねばならなかった。この
ことは読者に、作中における彼女の死に対して悲しくもさせ、またそれぞれの
己の内にあるノスタルジア、そして奇特な共感を感じさせることの両方に成功
しているように思う。そしてまた津田に相対するイメージの塊であり、自らの
弱さ故に友の死に苦悩する和泉は、彼女の影であり、同時に道に迷う多くの
読者が、己の凡庸さに重ね合わせることのできる存在である。殊更に作者が
和泉の脆弱さや非凡さを、称揚している様には思えないのだが、狂言回しと
して(こう考えてみると彼が、清潔感溢れる落語家という設定であるのは割と
ストレートである・まさに狂言回し・笑)後半に登場する円紫の口から、たお
やかかつ芯のある(ビタースィートな)人生への提言(笑)を<私>と共に受け
取ることによって結果的に読み手であるわれわれは凡庸なる(?)<私>や和泉が
その弱さと無力さゆえに有する強さ(実に反語的ではある。骨のない男には、
折れる所の骨がない、ゆえに骨が折れないという強みがある、というような。
軟弱であるワタクシの自己肯定というところまでに話を繋げるといささか作品を
貶めることになりそうなので・笑・このへんでやめておく・苦笑)に、シンパシー
を抱くのだ。むろんこれが極めて私的な印象であることは言を待たない。


評論まがいはこのへんでよしておいて、端的にこの作品の良いところといったら
適度に衒学的な雰囲気を醸しつつも、作者の思慮深さと繊細な感覚が、それらを
大して気にもとめさせず、また部分部分の仔細が分からなくても、きちんと
ひとつの作品として読めてしまうところだ(むろん作者と趣味を同じうする者は
いっそう面白がれるし、またその表現にいっそうの深みを感じられるかもしれない)。
そしてなんといってもその美文をときに苦笑を交えて読み進めることの快楽と
いうのは何物にも替え難いものである。氏の静謐かつ微かに熱を帯び、時に
ほろ苦く迫る名文の数々がひそかに読者の胸を踊らせるのだ(笑)。なには
ともあれ興味を持たれた方は、このようないささか騒がしくぶしつけな駄文に
組することなく、その書を手にとってぜひ読んでみられたい。あらあらあらかしこ(苦笑)。