長尾直樹監督「鉄塔 武蔵野線」(1997年)



観る。武蔵野線は、東京都保谷市(隣接の田無市と合併し、現西東京市・それにしても
しょうもない名前にしたもんだ)から埼玉県日高市を結ぶ実在の高圧線で、
全部で、総延長81.2キロメートル、計81基の高圧鉄塔を備えている。
で、この映画は両親の離婚による引越しを控えた小学6年生の男の子が
親友を引き連れて1昼夜かけて、「電気はどこからやってくるのか」を
自力でつきとめようとするそんな男子汁に溢れた映画。一度は断念して
しまうのだが、別れた父の急死がきっかけで、翌年の夏、再び保谷
戻ってきた主人公の少年は、見事、「電気がどこからやってくるのか」を
つきとめる。で、ぼくはほとんどこの映画に諸手を挙げて降参せざるを
得ない、というのが簡単な感想。鉄塔調査隊のMapでたどるものがたりを
見て頂ければよく分かると思うのだが、この武蔵野線は、西武新宿線
(こっちは鉄道線路のほうね)と、ほぼ平行するように走っているわけで、
このあたりの鉄塔のある風景というのは、ぼくにとってもまさに言を違わず
原風景なのだ。否応無くノスタルジックな気分になるではないか。季節も
夏だし、設定としても、切ないことこの上ない。少年が友人のお母さんに
淡い恋心を覚えたり、大人達に対する理不尽な怒りを覚えたり、こう、言葉に
するのももどかしい少年期の心模様を、非常に精緻に描写している。「20世紀
ノスタルジア」を観て以来、久々に説明したくない種類の感銘を受けてしまった。
ただただ主演の少年と、この映画の存在に感謝するばかりだ。うう、心の名作。
「20世紀…」が実に思春期・東京的であるように、この「鉄塔 武蔵野線」も
正しく激しく少年期・郊外的で、興味を持ってくださった方には「ぜひ観てくれ」
との一言しか告げる言葉もないが、とにかくこの映画に切り取られた夏の緑は
美しいことこの上ない。草いきれセミの声が「終わらない夏休み」を端整に
彩っている。劇中では存在感の薄い少年の父の、少年の中での存在感を推し
量りながら観るのも一興かと。入れ子式のノスタルジアが観た後も、つい不毛な
オブセッションに遊んでしまうところも、「20世紀…」を観た後に、良く似ている。