死んだ男のブルーズ

utubo2003-03-27

夕刻より電車で東伏見へ。待ち合わせまでに時間があったので、久しぶりに
武蔵関公園を歩くことにした。おそらく10年以上足を踏み入れていないはず。
ゆっくり歩いたので東伏見から武蔵関まで15分くらいかかった。ぼくが訪れる
ときは、たいてい武蔵関の駅前は死んだような顔をしてひっそりしているが、
今日は平日の夕方ということもあってか、わりと人通りがあって、にぎやかに
感じた。旧くてさえない商店街の中に数十メートル置きにコンビニがある。
新しいもの旧いものがごっちゃになっているところがなんとも言えず猥雑だ。
そういや駅前にもいつの間にか松屋が出来ていたし…。駅の近くでは高層住宅の
建設も始まった。風景は人の心の中に思い出を残して次々と変わっていくものだ。

ぼくの武蔵関の思い出のほとんどは昔祖父母の家に遊びに行ったときの淡い
記憶ばかりだ。正月、人気の無い公園で震えながら従兄弟とジュースを飲んだり、
夏の暑い盛り、何が楽しいと言うことも無く数日を祖父母の家で過ごしたりも
した。今となっては茫洋としてしまって、失ったもの(というかそれは単に
二度と手に入らないというだけなのだが)を思い出すとき、特有の鈍い痛みが
ある。二度と戻りたくないが、猛烈な郷愁にかられるのは、季節のせいもある
のだろうか。十数年前に目にしたはずの桜の木のつぼみが少しずつ開き始めて
いた。春がやってくる。春がやってくるとき特有の不安定な熱気と日差し。
今日は荒天と言えるだろう。風が強く、家を出る前にきちんと梳かしたはずの
髪の毛はまるで起床したばかりの寝癖の様に痴態をさらし、マスク姿の通行人と
目を合わせないようにぼくは公園を小走りに急いだ。花の精子空に飛びて春来たり。

武蔵関駅の構内にある本屋で待ち合わせしていたかたるさんにお会いして、まろん邸へ
ゆっくり歩く。途中コンビニに酔って、発泡酒と菓子類を買った。ぼくは選ぶだけ。
かたるさんがすべての代金を払う。申し訳無く思う。しかし金が無い。稼がねば金が
無い。使ってしまえば金は無い。金が無いと自由が無い。そのかわり不自由な時間が
たっぷりあるのだ。むろんわたしは小人に過ぎないので暇を持て余して善くないこと
ばかりしている。早朝まで起きていたりとか、昼まで寝ていたりとか。起床して
しばらくすると日が暮れると、なぜか心まで冷たく沈み込んできて、知らず知らず
酒を飲む。それはダメ人間の醍醐味といえば醍醐味だが、決して誰にも薦められない
うしろめたい快楽だ。わたしは自分を虫歯菌に溶かされるエナメル質みたいだと思う。

本日のシェフまろん氏のメニューは炊き込みご飯(鮭・ごぼう・竹の子・人参・
しめじ)、サニーレタスと中華風ソーセージのサラダ、みそ汁(豆腐・なめこ・三ッ葉)。
黙々と食させていただく。そして本日は接待ミュージック!まろんさんのかたる
さんおもてなしキラーチューンズ。80sアンドプログレ(含むカンタベリー)という
感じ。まろん氏大学時代のご友人がギターを弾いていた森林バンド(若かりし頃の
もりばやしみほ在籍!)のカセットテープなども聴かせていただく。そしてかたるさんには
ご持参のコンピ「湾岸から遠く離れて」を頂く。以前たんぽぽさんがお作りになった名コンピ
「Girl's Voice」の第2弾だという。

ぼくはわずかに戦前の歌謡曲東海林太郎など)をかけさせて頂いたが、まろんさんと
かたるさんの音楽や少女マンガでのツーカーぶりに驚きを隠せなかった。そして随分と
親しくさせていただいているがまろんさんやかたるさんと、ぼくの間に横たわる時間と
いう名の溝をちょっぴり感じたのであった(笑)。まろんさんのおかけになったものは
去年の今ごろから聴かせていただいていたプログレ講座復習篇とでもいえるもので、
ぼくはそのうちマッチング・モウルやリチャード・シンクレアがいたあのバンドのCDを
お金を稼いで買い込んでやろうと思った。そしてたまの知久はなんて原マスミで、ジャパンの
デヴィッド・シルヴィアンは、何故高橋幸宏のボーカルスタイルを真似てしまったのだろう
と思った。ジャパンの音を初めて聴き、ぼくはなんともいえないモンドな感覚に襲われていた。
そして、なんとなく止めたはずの煙草を改めてふかしたい気分にもなってしまった。正直に
言おう、ぼくは高橋幸宏のボーカルがとても苦手だ。あのYMOで歌っているものも含めて…。

なんとなく心情トロトロな日記になってしまったが堪忍頂きたいであります、まろん隊長!