リビルディング

バイト帰りに、所沢で友人ふたりと、4年ぶりに会って、初めて酒を飲んだ。


ぼくが通っていた中学、高校の6年間、学校じたいにはさほど愛着もなく、

あの時期特有の妙に高いプライドと、「自分にはなにもできないのではないか」

というひたすらに脳化された抽象的な煩悶のなかで、つかず離れずつきあった

ふたりの友人と久しぶりに会って、ぼくは少し自分を恥じた。



というのも、大学に入ってから、ぼくは趣味の音楽を通じて出会った友人を

沢山得たけれども、同い年くらいの幼さや、勢い、そして危機感に触れることは、

すでに世間の風にあたっている年上の友人たちからは、学ぶべくもなく、

常に動きつつ、世間の中にある、自分の状況を見据えることを怠ってきたからだ。



自分の立ち位置から、見上げるような立場にいる友人たちから、やさしいことばを

かけてもらうことは、気安く、心地よい。そして、彼らはある程度成熟している

おとなだから、自分のなかにある問題意識を、あえて趣味を通じて付き合う場では

直接開陳することもない。ひとは趣味の場において、それを愚痴をこぼす空間ではなく、

「かたいこといわず楽しもうよ」と良い緊張と、リラクゼーションを共有する場にしようと、

しぜんにつとめようとするものだ。

その場を離れ、ひとりとひとりが対面した場合はむろんその限りではないけれど。



彼らと別れてから、ぼくは数はそう多くないけれども、つくづく良い友人たちに

恵まれているなとひとり電車で思った。人の縁に、感謝し、また、無用な驕り高ぶりを捨てたい。