ワーカホリック

最近、週に三日は朝の西新宿へ出向くので、スーツを着たり着なかったりしている
沢山の成人男女がみな同じ方向を向いて歩いていく後ろで、ぼくもふらふらしているのである。


たまにあの新宿西口の薄暗いロータリーに朝から救急車が停まっているのを見たりすると、
「ああ、きょうも朝から立派なワーカホリカーがお亡くなりになりましたチーン」などと
人にあるまじき凶悪な妄想をはたらきながら、職場に向かうけなげなオレである。
何が「けなげ」だ。むしろどちらかというとオレは「はなげ」であり、勝手に殺すな。


もうすぐ大学の講義もはじまるなあ、などと呑気なツラをふりまわしながら、
思うことは、相変わらずこの国では「勤労は美徳である」ということなんである。
昔どっかで本で読んだが、日本人は文明開化以降、勤労を尊ぶようなったうんちゃら。
ああ、そうだ杉浦日向子のエッセイだったかもしれない。江戸時代の長屋文化を
ささやかにほめ称えるような内容だったような気がする。本じゃなくてたぶん新聞の文化欄だった。


それはともかく、ぼくもさすがに「家なきおじさん」あるいは「家なしお兄さん」ひょっとしたら「家ないぞおじいさん」には
なりたくないというふうには思うし、「だめ連」なんちゅう連中はさすがに
ダメすぎだろ、適度の緊張感は生きていくうえで必要だろ、などと腰に手を当てながら
心の中で吟じているのだが、ああ、この国ではワークシェアリングなんてことばは
入ってきても、そんな思想と実践が根付くことは永遠にないんじゃないかな、などと思ったり。


ぼくが通っている場所には都内でひとりぐらしをしていて齢三十ウン才、肌荒れが目立つ元男子、
みたいなおじ・おにいさんも幾人か見かけるので、うーんやっぱこういう生き方にはNOだな
(というか親に顔向けできないです)と思ったり、そういうひとがヘビースモーカー
だったり、という話を聞くと「やんぬるかな」と知ったかぶりでうなづいたりしているのである。


思うにこれからいろいろ困難が待ち受けていそうなステキな予感がするけれど、
「素直さ」と「健康」だけは、努力して保ち続けたいものだと心から思う。
子供の頃から、はすに構えていた時期が長かっただけに、最近ものすごい反動で
アンチ「擦れたおやじ・おばさん・おにいさん・おねえさん・ガキ・じじばば」症候群に
侵されているのである。楽しそうに仕事をしているひとのタフネスから学びたいものだなー、
と素朴に思うきょうこの頃。いや、ホントに、楽しく生きたいものですね。
むつかしいかもしれないけど、あんまりグダグダ言わないでさ・・・。