立花隆 / 日本共産党の研究(2、講談社文庫)



ブックオフの年末の100円セールで買ったので、1巻が無い。3巻はある。
第2巻は主に30年代の非常時共産党というのかな、第二次大戦へ流れ込んでいく頃の
共産党特高と内部スパイによってガタガタになっていく様が資料を駆使して述べられている。
菊地成孔がいつか日記で「日本には今も昔も快楽主義しかない。思想は無い」みたいな
ことを言っていたのだけれど、それには基本的にぼくも賛成で、立花が日本共産党のダメさ加減を指摘するのも、
基本的には最も論理的な正確さを有すべき理論と実践が伴ってのマルクス主義なのにそのどちらにおいてもいい加減だった、という点。
日本においては、西洋のあらゆる文物がまずインテリ層に受容されて、みなが順を追ってそれを
勉強する、というスタイルがあるんだよなあ。これは今でも多くの場面でそうかもしれない、と思う。


それからいわゆる「転向」についても詳しく章が裂かれているのだが、はっきりいって苦笑を禁じえない文言が多く、
高邁な理想はけっこうだけれども、結局いつも彼らまじめ人間が忘れていることは、彼ら以外の多くの人間はわりと享楽的で
自分が不利な立場に立つとまじめに振舞ってみたりもするけれど、うまく行ってりゃ
無反省ということで、要するに彼らには「人間がいかにいい加減な存在か」という検討がほとんどないというところに尽きる。
生真面目なやつは、マルクシズムを批判して、非論理的な跳躍を経て、今度はガチガチな天皇主義者になっちゃったりして、もう処置無し。
という感じもあるのだが、いつの時代もある一定の人間は、世間と折り合いをつけるのが難しいので、彼らのような極端な人間は特に珍しいことではないのだが、
家族や近所にいたりしたら迷惑だなあ、と思うのだ。いまだとそういう連中はオタクになってるのかもしれない。まあ、オタクは革命より宗教に近いけれど。
経済的に貧しいと、ひとはシリアスにならざるを得ない、って部分もあるから、そこは、今の政治運動にしろ労働運動にしろ第二次大戦前後のそれとでは、相当なギャップがあると思う。


そういや、90年代の日本ではさすがに誰も「革命」と言わなかったので、「宗教」が「革命」しようとしたのだろう。
宗教団体が実力で世界を変えようとしたとき、彼らは一般大衆にとって革命集団になってしまうのである。革命は失敗すればテロと呼ばれる。
で、当の団体が国家に弾圧されるのは理の当然なのである。と、まあ、本の感想から離れたけれども、示唆に富んだ興味深い一冊です。