高橋源一郎 / 君が代は千代に八千代に(文藝春秋)



高橋源一郎(改めて字面を見ると古めかしい名前だ)の亜流をやるのはたいへん難しそうだ。
というのも、このひとの亜流をやってしまうとただのデタラメになってしまう場合が多いからだ。
とまるでどこかで見たようなことを云っているけれど、高橋源一郎のモノマネなんてぼくは少しも見たことがない。
テイストとしては中原昌也がちょっと似ているかもしれないが、彼の作品はまともに
読んだことがないので、判断できないし、似ているからといってそこから何か話がはじまるわけでもない。


ほとんど誰も本を「読まない」現代にあって(それはもしかするといいことなのかもしれない。
自我の葛藤とか純粋自我とか人間存在とか生と性とか死とエクスタシーとか、そういうものに
意識的に係わり合いにならないで、ボーッとテレビを見たり、無料エロ動画を落としたり、テレクラに行ったり風俗に行ったり逆ナンしたり、
職場の男の子に欲情しているほうがよっぽど健全かもしれない)何が、読者に対して有効かなあ、ということを考えている文章のように思える。
しかしこのひとは相当テレビを見ているよ。だから、ぼくの父はきっと嫌うと思う。
でもぼくはこういう軽薄/ハードボイルド/ブルーズなテイストがそのうち文学史になっちゃうんじゃないかと思ったりしちゃう(もうなってるか)。
どちらにせよ文学もそのうちブンガク、bungaku、Vungakutなどと名を改めてケンウィになっちゃうんDA。DADA。
ただし、我思ふに、ゲンちやんは、長篇小説のほうが果たして良いのである。短編は苦手か。