ポップスは、まねをする。

sportsというバンドの新曲「sports wear」は、くるりの名曲「ばらの花」の雰囲気に似ています。くるりのこと好きなんだろうなーという感じ。ギターが音響系も聴いてますよ、という感じ。いや、キライなわけではないのだけど、いやー似ているなーと思ったり。

以下関係のないことを書きますが、高橋健太郎氏の最近の日記はずっと興味深く読んでました。
http://blog.livedoor.jp/memorylab/archives/582749.html
そしていまのところいちばん新しい記事が上のリンクから読めるのだけど、ああー、この運動を拒否する身振りがすっごくダダの連中に似ているなーと思い(「僕達は政党でも、団体でもなく、そういう風になることを極力避けようと思いながら、しかし、法案を廃案にするために、自分達の出来ることをやろうとしている、個人の集まりなのですから。」という一文には深いシンパシーを覚える。)

運動体を維持しようとすることが目的になってしまう運動や運動体内の理論的統一(そんなことはまさしく政治であり、権力関係がなければそれこそ「統一」など成し得ない)なんかを目的にはしていないという発言はトリスタン・ツァラを連想させるんですがこの記事の末尾でも述べられている(「僕はプロモーションをしているに過ぎない。目的は最大限、この法案の存在、内容、問題点を世の中に知らせることです」)ように、ある種の諦念を感じさせることもまた事実で、氏が例の法案を廃案とさせることは「かなり難しいのだ」と感じておられるのだろうなということ。加えて「それから、僕がやりたいのは恩返し、それだけですから」。この最後の一文は氏のきわめて個人的な動機が今回のアクションの元になっているのだなあ、と改めて深く感じさせるものでした。