サムシング・エキゾチック 〜シンガポール篇〜



2001年の8月から9月にかけて天津に遊んだのだが、
向こうではこちらで言う大型スーパーで音楽カセットが売られている。
その中で印象的なジャケットに惹かれて買い求めたのが、
蔡健雅の『相信(I DO BELIEVE)』という作品で、当時最新作だった。
適度な内省と普通話(北京中心に話される標準語)そして
東アジアのポップスとしてはかなり洗練されたサウンド
相俟ってわたしの心に強く残る作品となった。
最近知ったのだが、昨年7月に、蔡は新しいアルバム『Jupiter』を発表している。
全篇英語詞の試みだが、ここまで行くとわたしの好みではなくなってしまう。


そうアジア的でもない洋風の旋律に乗せて普通話が歌われると
脳裏に浮かぶどこにもないエイジアン・アーバン・シティ(苦笑)が
心地よかったのだが、英語という言語によってもたらされる
エキゾチシズムは少なくとも私においては、シナのことばに及ばない。
戦後日本でも英(米)語に強いエキゾチシズムが湛えられていた時期があった。
服部良一が作った音楽のいくつかは、音楽が歌詞においては日本語だが、
そのサウンドで以って強い異国趣味を醸し出していた。
端的に言えば、音楽の身振りがジャズの文法に則っていたことである。
それがきわめてエキゾチックに感じられた時代があったということは、
日本と米国の文化的距離にずいぶんな隔たりがあったということをも また意味するのだろう。
そして少なくとも今日のわたしにおいて、 チャイニーズ・ランゲージが
米語にくらべて遠い存在であることが またエキゾチシズムを生んでいる。
それは戦後、大陸との文化的距離は広がり、米国との文化的距離が
縮まったことの一端のあらわれであるといえないこともないかもしれない。
とまあ、ずいぶん粗雑な比較文化はやめにして(なんとなくこういう文章を書いてしまうのです)、
最後にご興味があれば蔡健雅の『相信(I DO BELIEVE)』をご一聴されることをおすすめする。




果宗囘梧爆和墮(アルバム『Jupiter』ストリーミングフル試聴可)
http://www.bucuo.net/musicsky/bucuo_3155.htm


華納線上音樂雜誌(ワーナー台湾・アルバム『陌生人』試聴・2分前後)
http://www.warnermusic.com.tw/focus/mandarin/tanya/stranger/


百度MP3搜索(ミュージシャンの名前で引っかかってきた・苦笑)
http://mp3.baidu.com/


Tanya(日本語ファンサイト)
http://members.aol.com/lixun6/tanya/