サムシング・エキゾチック 〜1964年の日本篇〜



エキゾチシズム、日本語で言うところの異国趣味。音楽におけるエキゾチシズムということについて
しばし考えてみると、「いま、ここ(現実)からどれだけ遠いか」というのが根幹の要素、あるいは
エキゾそのものになるのかもしれない。個人的に音楽という表現形式そのものが、「彼方」を指向するものと
考えているけれども、もう少し話を絞って、音楽におけるエキゾチシズムの発露としてどういった姿が
あるかな、と考えてみると、また粗雑な話になって申し訳ないのだが、「妄想系」と「構築系」という
ふたつのカテゴリに分けられると思う。大雑把過ぎるかもしれないが、「妄想系」代表は、デューク・
エリントン、そして「構築系」代表はバルトーク・べーラということにしたいと思う。デュークの
「キャラヴァン」や「ムード・インディゴ」は、彼の彼の地への妄想が結実して産み落とされた珠玉である。
「極東組曲」にしても、たしかインドあたりをツアーしたときの印象で書かれた曲(日本にも寄った)だと
思ったが、基本的にインドアーから彼方へのオブセッションが元になっている。対するバルトークはどうかと
いうと詳しいことは知らないのだが、1910年代に東欧の民謡の整理収集に集中していたという。
言うまでもなく少なからずそれは音楽の構築に影響を与えているだろう。と、まあこれはどうでもいいはなし。


前置きが長くなったのだが、今回ご紹介するアルバムは、1964年4月6日から放送が開始されたNHKの人形劇
ひょっこりひょうたん島』のサウンドトラックである。が、音楽そのものはほぼ新録。というのも
このアルバムは1992年にバンダイミュージック(EMOTION)から発売されたもので、前年に衛星放送で
放送が始まったリメイク版に合わせての商品である。'91年に衛星放送で放送された『ひょうたん島』は
翌年、地上波へ降りてきた。教育テレビで夕方放送されていて、それを見てから、最寄の駅までダッシュ
隣町の塾へ通うのが当時のわたしの日課になっていた。図書館へ通って脚本の収められたちくま文庫を借り出したり、
リメイク版制作の礎ともなった伊藤悟氏の著書を読んでみたりした。で、このアルバムを購入したのは
その又翌年1993年であり、それからちょうど10年後の昨年(2003年)にはオリジナル版の音源が発売になった。


オリジナルをテレビでなんとなく観ていたという母によれば(そういえば映画『おもひでぽろぽろ』でも
茶の間のテレビで背景的に「ひょうたん島」が映っていた記憶がある)、その前に放映されていた
チロリン村とくるみの木』が「俄然テンポがよくておもしろかった」とのこと。しかしわたしにとっては
比較対照がないので、そののんびりとした雰囲気と音楽がずいぶんと心に残った。とくにこのアルバムは
全篇トラヒゲのナレーションで「海賊の巻」のストーリが端折られながら語られていくのだが、海賊四人組から
届いた国際郵便の料金100円を払うために島を挙げて大統領選挙をし、当選させられたドン・ガバチョ
100円を払わせるという大げさでばかばかしいくだりや、海賊四人組がひょうたん島に上陸し、夜な夜な
宝探しをしてまわるところなどが印象的で、この作品を通して40年前の東京の空気感を幻視できるような
妄想がどうしてもふくらんでしまうのだ。やはり一番大きいのは世界観の設定として「西へ東へと流れる浮島」
というあたりで、もし実際にそんなものが手に入ったら桟橋から飛び乗ってアディオスフェアエルバイバイ
グッバイですよ、まろんさん!とちょっと子供じみた奇声を発してあたりを駆けずり回りたいくらいである。
というわけで、この場合、宇野誠一郎の音楽そのものがきわめてエキゾチックというわけではないのだが
(彼のハイセンスとポップスを聴きたいのであれば、『宇野誠一郎作品集』を買うべし)音楽を含めた
作品そのもののエキゾ性がとってもたまらない、というおはなし。しかし、東京オリンピックが開かれ、
ベトナム戦争が始まった1964年という「現実」は決してエキゾではなく、かなりの部分で現在に至るのであって
やはりキーワードは「40年前につくられた」「子供向けの」「音楽がよくできた」「人形劇」というあたりに
あるのかもしれない、などと思いつくまま申し上げてみるしだいである。