内田樹 / 他者と死者 (海鳥社)



レヴィナスの「私は、私としてある限り、すでに有責である」というテーゼはユダヤキリスト教の倫理観に基づいて、それを超えており、理解するのは難しい。「原罪」の定義に近いが、その善への志向が神による懲罰への恐怖に基づいておらず、ひとが自身によって、善を為すという定義であると内田によって語られている以上、これは祈りのようなものである。「十全に有責である人間の成熟をこそ求める神を」打ち立てる!?なんだか非常に厳しそうだ。読書中、既知にすべてを回収したい欲望に実によくドライブされました。無理にはすすめません。読みたいやつだけ読め、という塩梅。