第1章 ことばを殺す装置としての戦争 1-3 ことばがことばを「殺す」戦争



 「戦争」ということばの持つちからに気づいたのはいいが、「なぜ戦争がおきた理由がつぎつぎと変えられていくのか」という問題よりも、考える必要のある問題がわたしたちの生活には確実に存在する。それは、日々の生活の中で、それなりに重要だ。母は晩御飯のこんだてを考え、父は取引先への訪問について考え、子は定期試験の苦手教科をなんとかパスしようと考える。生活の中で、わたしたちは「なぜそれをするのか」と考えることよりも、多くの場合、「なにを、どうするか」ということを求められる。「なぜそれをするのか」という問いはしばしば不問に付される。そのような疑問にかかわりあっていると、たぶん晩のおかずはいつまでたってもできないし、父はやがて職を失うし、子はおそらく落第を余儀なくされる。

 日本で生きるわたしたちの多くにとって、おそらく重要なことは「どうやって飯を食っていくか」という問題、次に「いかに自己実現を果たしていくか」(「自己実現」という幻想を笑うのはたやすいが、笑えば幻想から逃れられるというものでもない)という問題であり、また、その問いが副次的に引き起こすありとあらゆる軋轢である。

 「飯を食っていく」のは人間の生存に不可欠なことがらであるし、それは本能によるものであり、人間の営みにおける原理的な基盤である。明日食べるものを欠く人間に、「なぜ戦争がおきた理由が、つぎつぎと変えられていくのか考えよう」と勧誘することは、よほど無神経でない限りできない。しかし、わたしの住む日本という国では、明日食べるものに事欠く人間はこの最近、いない。この状況は、たいへん幸福なことであるといっていいだろう。

 しかし、「なぜ戦争がおきた理由がつぎつぎと変えられていくのか」という疑問については、あまり考えられていないと、わたしはわりと信じている。勤労者はみな疲れているからであろうか。そうかもしれない。善悪の判断が封じられているから、だろうか。そうかもしれない。先の大戦、そして敗戦、その後の世界に稀を見ない経済的繁栄。そこに実は、「戦争」と「平和」という相関する価値に対する判断停止の要因があるのかもしれない。しかし、この問題についてはここでは言及しない。本題を大きく逸れる問題だから、戻ることにしよう。



 「なぜ戦争がおきた理由がつぎつぎと変えられていくのか」という疑問をおそらく、多くの人は考え続けないのだ。あるいは考え続けられる状況に身をおくことができない。ただ、ごく一部の人は考え続けているかもしれない。それを考え続けることで、飯を食べることのできる専門家(学者、研究者、マスコミ、ジャーナリスト)は、たぶん考え続けているはずだ。

なぜ、戦争がはじまったのか、いつ戦争がおわったのか。一般に、そのような知らせは、爆弾が空から降ってこない場所では、毎朝郵便受けに届く新聞、あるいは昼休みに職場で覗く、インターネット上のニュースサイト、深夜のニュースショーによって知らされ、そこで終わる。同僚や同学、あるいは家族との雑談で知ることもあるかもしれない。しかし、「報道」という大きなことばが途切れると、ひとは戦争があったのかどうかさえ次第に忘れていく。



 もう少し、「戦争」について考えてみる。わたしの住む家の近所が戦場になったら、どうだろうか。

 明日もし自宅の庭に、空から爆弾が降ってきたら「なぜ爆弾が降ってきたか」ということを、わたしは考えるだろうか。おそらく考える前に必死に逃げるか、あるいは考える前に被弾して死ぬか怪我をするかのどちらかだ。空から振ってくる爆弾を見ながら「なぜ爆弾が降ってくるのか」と考えていたら、まず死ぬと思うので、ぼんやり考えたりはしない。爆弾から必死に逃げるとき「なぜ「戦争」が起きているのか」とわたしは問えるだろうか。全身に包帯が巻かれ、傷の痛み苦しみにうめくとき「なぜ「戦争」が起きているのか」と考えるだろうか。その余裕があるだろうか。空から突然爆弾が降ってくれば、それが「戦争」なのか 「テロ」なのか「クーデター」なのか判断する余裕はないといってよい。

 ひとはいつ「戦争」を考えるか。「戦争」の善し悪しをどんな場所で考えることができるだろうか。わたしの乏しい経験からいうと、戦争の起きている同時代に、戦争の起きていない場所では、「戦争」の善し悪しについて考えることができる。これはイラク戦争の期間(まだ続いているように思われる)、一貫して感じてきたことである。あるいは戦争が起きた後の(戦争の起きていない)時代には(まったく戦争の起きない時代などないのだろうが)「戦争」の善し悪しについて考えることができる。戦場でも「戦争」の善し悪しについて考えることはできるだろう。しかし延々と考えていたら、おそらく敵の弾に当たって死ぬ。ひとは死にたくないので、ただでさえ弾に当たったら死ぬ戦場では、「戦争」の善し悪しについては考えない。戦争からどうやって生き延びるかを考える。



 さて、ダダへと進もう。おそらくツァラが「ダダは何も意味しない」といったのは、彼は戦火の及ばないチューリッヒで、もっとも大きなことばの暴力、「戦争」について考えることができたからだ。「戦争」が象徴する、ことばによることばの殺害。「ダダ」はおそらく殺害されたことばそのものであるはずだ。彼は「戦争」によって殺されたことばへの己の無力感をきわめて反語的に表現したとわたしには、とらえることができる。同時に、ダダの試みはことばを殺すことばへのささやかな抵抗であったのかもしれない。そのような視点から捉えると、ダダは、政治的かつ文学的な試みであると言えそうだ。

 次章からはダダ(運動)の中心的人物と理解されているフーゴ・バルトリスタン・ツァラにとっての、人生、戦争、そして作品とはなんであったかをそれぞれ検討し、ダダとはなんであったのかを考えていく。


(第2章 フーゴ・バルについて につづく)