第3章 トリスタン・ツァラについて 3-2 ツァラと戦争



 ツァラは前段で述べたように、ダダの時代において、従軍の経験を持たなかった。しかし、彼の言語表現における試みは、大いにその時代に刺激され、良くも悪くも彼の若さをして「破壊」のための「破壊」を志向するものとなった。





 僕らは告げる、自動車はひとつの感情で、その抽象作用の緩慢さは、大西洋横断定期船とか噂とか、またさまざまな観念のように、じゅうぶん僕らを甘やかした、と。だが容易なものは僕らと無縁だ。核心の本質を求める僕らは、それを隠すことができれば満足だ。立派なエリートの窓をかぞえたりなんかしたくないんだ。ダダは誰のためにも存在しないのだから。みな、このことを理解してほしい。そこに、たしかに、ダダのバルコニーはある。そこで軍隊が更新するのをきき、熾天使さながら大気を切り裂きつつ、民衆の浴槽に降下して、尿をし、譬を解読することもできるのだ


トリスタン・ツァラ小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』 p4、竹内書店、1970年


 ツァラはこう言って、未来派の象徴である「自動車」を批判し、言語表現の更なる可能性を示した。それはどういうことかというと、そこでは彼の「振る舞い」が問われるのではなく、「核心」の本質を求める以上、なりふるかまわぬ「必死さ」(あるいはデタラメさ)が必要とされる。ゆえに「立派なエリートの窓」とは無縁、というわけだ。ここには「藝術の本義」(という信仰)に手を伸ばそうとするツァラのあくなき姿勢ち、若干のヒロイズムが感じられる。
 また一方で、ツァラの『アンチピリン氏の宣言』は次のように結ばれている。





 だけど、僕らダダ、僕らの考えは彼らとは違うんだ。芸術は、ぜったい、生真面目なものじゃあない。僕らが罪を披瀝して、排気筒のことを学者みたいに話すのは、みんなをたのしませたいからなんだ、聴衆の皆さん、僕はほんとに皆さんが好きだ、崇拝しているんだよ


トリスタン・ツァラ小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』 pp.5-6 竹内書店、1970年


 おそらく人間が始終生真面目で無いように、その藝術が生真面目でない、というテーゼが彼の生きた「戦争」の時代からやってきたことは想像に難くない。「戦争」の気違いじみた生真面目さが、人間の諸々の活動を駆逐し、「節度」や「美的感覚」といった良心を叩きのめしてしまう。「親」や「子」や「友人」や「恋人」を尊重するルールの下でわたしたちは生きている。そんな人間同士が、その「親」や「子」や「友人」や「恋人」を殺しに行かねばならないという、激烈な茶番劇。人間が人間を不信荒廃させる壮大なシステムが「戦争」であり、その不信に導かれ、自覚した人間がツァラである。
 塚原がその著『言葉のアヴァンギャルド』で指摘するように、ツァラはのちに「ダダはタブラ・ラサの欲求から生じた」と語った。人間精神の破壊と殺戮を象徴する「戦争」を破壊一掃する、というツァラの考えるダダの信条は、『ダダ宣言1918』に見ることができる。それは、最もダダの精神を表したものとして頻繁に引用される次の一句に集約される。すなわち「ダダはなにもいみしない」。


 言い表すと同時に、その言い表したことにたいし、即座に否定反抗すること。その姿勢は、彼の批判する「戦争」への態度ときわめて似通っており、「破壊」の原理を徹底的に拒否するという視点において、きわめて観念的、独善的、原理主義的であるとさえ言えよう。しかし、そこに「破壊のための破壊」ということを言わざるを得ない諦念と確かな意思を感じる部分もある。「反戦」という無邪気さと生真面目さを否定する内的必然が、程度の差こそあれツァラの中にはあったのだろう。でなければ、いくらまだ分別の足りぬ若さを持ち、銃弾の飛び交わない「避難所」に彼がその身を置いていたとしても、ここまで極端なことは言えないはずだ。


 「ダダはなにもいみしない」が大きく象徴するように、このような言語表現を以って、単線的な思考を否定し続けるツァラの振る舞いのなかには、言語表現がもつべき複線的・多層的・重層的な意味内容への純粋な志向性があるといわざるを得ない。チューリヒでのダダにおいて、やがて来るべき「ダダ」より、より素朴なダダ「運動」はこう宣言して終わりを告げる。





僕らは求める 力を まっすぐで純粋な簡素で
単一な 僕らは求めない なにものも
僕らは確立する それぞれの瞬間の活力を


トリスタン・ツァラ小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』 p.154 竹内書店、1970年


 1920年1月以降、ダダの拠点はフランスの首都パリに移り、フランシス・ピカビア、アンドレ・ブルトンらが合流する。やがて「ダダ運動の内的な理念は見失われ、政治的な意味での権力が誰の掌に渡るかという問題にすりかえられてい」(前掲『ダダ宣言』p.28)った。組織内の権力闘争が、組織の維持、抵抗勢力の排除といった運動体そのものの維持を目的とし、純粋な「運動」から離れて、その手段と目的を取り違えてしまった以上、ダダは潰えるほかなかった。1924年ツァラは不埒な「運動」となった「ダダ」への弔辞を次のように述べている。





 きみたちは、人生なんて洒落だってことをぜったいに理解しないだろう。それは、君らがじゅうぶん孤独になりきっていないので、憎悪とか、判断とか、おおいに努力を要するいっさいのものとかに対立するものとして、なにもかもが似たようなもので取るに足らない、平坦かつ静寂な精神状態を、思い浮かべられないからである


トリスタン・ツァラ小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』 p.130 竹内書店、1970年


(3-3につづく)