英語でしゃべらナイト (総合テレビ)



 しゃべらナイトじたいは、1,2度観た事があるのですが、まさか菊地さんが出演するとはなあ。主に「南米のエリザベス・テイラー」「デギュスタシオン・ア・ジャズ」を引き合いに出して、創作の動機としての妄想の重要性について話していました。


http://d.hatena.ne.jp/utubo/20050703#p4


 上記リンク先にある、藝大でのレクチャーでのエピソード。スポンジ製の地球儀に針を刺すと、東京の裏側はアルゼンチン海盆だ、という話や、エリザベス・テイラーが50年代当時、世界中にいただろう(という妄想)、いわんやアルゼンチンをや、というような話。スペインの料理人が発明した「デギュスタシオン・コース」(60皿のひとくちサイズの料理が次々に運ばれて、それを順に食べていくコース)にインスパイアされて、それで」「デギュスタシオン・ア・ジャズ」を作った、というような話。これは、まず前半スタジオで語られました。


 英語については、「最初は英語が好きだった。次に必要になった。そして気にしなくなった」と話していました。そして、自作でも英語でうたっているけれども、「カタコトを心がけている」と!インド人やフランス人やいろいろな外国人が英語を喋るけれども、彼らは発音やイントネーションが、ネイティブから遠く離れていても、一向に気にせず堂々と喋る。日本人はネイティブにいかに似せようか、ということに腐心しているけれども、カタカナ英語でも話していれば通じる、自分が言いたいことに心を込めて話すのが大切なんじゃないか、というような提言がありました。これは、米国英語をお手本に、いかに白人の英語に似せるか、という傾向の強い日本の英語教育に対する批判として有効だと思います。この傾向はしばらく続くと思いますが。


 途中歌舞伎町の氏の自室の映像等を挟みつつ(部屋は「情熱大陸」(東京放送)の取材時よりもさらに乱雑になっていました)「サックスを吹くとき、言葉を話しているように意識するか」という質問には「サックスの音というのもまた言葉に似ている。ジャズはアメリカの黒人が作ってきた音楽なので、それをそのままやろうと思っても、日本人が英語を完璧に話そうとするようなものだから無理」と、これはかなりテレビ向けの発言をしていました。藝大でのペダンチックな按配とは少々異なりますが、まあ、そりゃそうだろうなあ。楽音を言語に安易になぞらえるのは危険だ、ということは氏の著書にも何度か繰り返して書いてあるし、以前にはジャズのインプロヴィゼーションと、雑談はよく似たものとして扱われるけれど、「ジャズマンは、ほかの人の「発話」に反応しているわけではない。演奏時は(みなが)同時に音を出している」というような発言もありましたが、メディアと場をわきまえての発言と理解しました。


 番組の構成じたいは、スタジオと歌舞伎町ロケの菊地さんパートと、来日中のキャメロン・ディアスにインタビューするサトエリのパートを行ったり来たりする感じで進行しました。「歌舞伎町に住む理由」=「猥雑で落ち着く」。「歓楽街で育ったので、ネオンを見ると癒される」というような話もありました。オフィシャルサイト(http://www.nhk.or.jp/night/)の釈日記では、番組パーソナリティ:釈由美子の菊地さんへの印象が述べられています。