花森安治と「暮しの手帖」展@世田谷文学館



 京王線の蘆花公園駅から歩いて10分ほどのところに、世田谷文学館はある。駅を降りてみて、数年前大学生だった頃に、文学館に近い場所にある老人ホームを訪れたことを思い出した。施設にはとても金がかかっていて、入居しているお年寄りが、元大学教授だとか、元会社社長だとか、社会的地位の高かったひとばかりだった。呆けてしまった老婦人が英語で歌を歌っていたりして、強いカルチャーショックを覚えたのを鮮やかに思い出した。名士とて死からは逃れられぬ。いわんや呆けるをや。
 文学館の入り口に辿り着くに至って、「入居していた老人を車椅子に乗せてロビーまで散歩にやってきたな」とはっきり思い出して、やや感傷的な心持ちになる。「花森安治」について知ったのも大学時代によく通った喫茶店の女主人が、彼のデザインや文章のセンスに心を留めて、店に花森の著作が何点か置いてあったからだ。あの喫茶店も今は無い。


 展示の一番初めに並んでいたのは花森自身による「暮しの手帖」(昭和23年創刊)の表紙絵だ。そのどれにも非常に繊細な感覚があらわれていて、単に「かわいらしい」で済まされない、鬼気迫るものを感じた。おそろしいほどのこだわり。雑誌に携わった社員たちはさぞかしたいへんな毎日を送ったのだろうと思わせるのにじゅうぶんなあんばいだった。まるで個人誌のようなおもむきの雑誌が数十年発行され続けたのは驚くに値する。彼がその死を以って編集の任を降りてからの同誌は、おそらくだいぶ違うものになっているのだろう。


 蛇足だが、愚母が愛読している「通販生活」に、「暮しの手帖」からの影響を感じなくも無かった。むろん前者はこんにちの通販雑誌なので、いささか商業色が強いのは否めないが、読者を啓蒙するような読み物記事が多いところに共通する点を感じた。