映画美学校/音楽美学講座/クリティック&ヒストリーコース/第1回講義@京橋・映画美学校

講師:岸野雄一大谷能生野々村文宏

岸野「授業は生き物である」
大谷…音楽中心に芸術、芸能史(どれだけイマジネーションを広げられるか)年間10コマ予定
野々村…美術、建築、視覚芸術とポピュラーミュージック(1960年以降)・通史的なもの)年間8コマ予定

  • メディアの中で、音楽がいかに扱われ、どういった言説が生まれてきたか
  • 印象批評と形式批評のバランスを取る/偏りを無くす
  • 歴史を時間軸で切る
  • 地勢/地政/19世紀以前/メディアの中の歴史など切り口は沢山ある
  • 音楽を聞く方法/選ぶ方法
    • タワーレコード渋谷店に1年間に入荷されるCD(2004年のデータ)
    • およそ4000タイトル(アルバム)、1日約130枚→物理的に「全ての音楽」を聞く事は出来ない
    • レコード店は何を売るべきか判断できない→レコード会社の営業がプッシュするものが店頭に並ぶ
    • 客も何を買うべきか判断できない
    • 1コーナーで約100タイトル→1フロアで約1万6〜8千タイトル
    • タワーレコード渋谷店だけで約10万タイトルの在庫が常にある
    • 何を買うべきか判断できないのであれば、何かを頼りにし、何を聞かないか判断する必要がある


大谷…高校生まで青森県八戸市在住。1985年頃からCDのリリース開始。当時は再発が新鮮であり、毎月CDが店頭に並ぶという事自体物珍しかった。まだCDがその月リリースされるものが全てカタログ化できており、カタログを読んでいたので、町のレコード屋の店員よりも詳しくなり、レコード番号と、アーチスト名でよく取り寄せをしていた。

現在は、新譜を買うモチベーションはチャート物のみに向けられている。あとは、生の音楽や、じぶんの周りの音楽で事足りてしまう感じ。


岸野…情報の飽和と情報への渇望/iTMS…どう捨てていくかが問われる


野々村…音楽を聞く/買う指針。現在45歳。過去の音源に対して見落としているものがないか強迫観念的なものがある。特にパンク/ニューウェーブと呼ばれる音楽をリアルタイムで聴取してきており、当時はTotoの『アフリカ』など唾棄すべきものだったが、今聞くと良い。当時はクインシー・ジョーンズ(のようなもの)が大嫌いだった。

ある歴史観は誰かが書いている。では、その歴史を書き換えるのは誰か。ある音楽史を書き換えるところには、「権力」や「偏り」が存在する。ミュージシャンが書く批評がおもしろいのは、彼らが言葉をもつことにより、イメージの分節化が行なわれるから。言葉を持つ事でじぶんのつくりたいものがより明確になることもあるが、それに囚われてしまうこともある。

未成熟な音楽批評→音楽家が偉く、批評家は幼稚である、というヒエラルキーが未だ有り、そのヒエラルキーを打ち砕くためには、魅力的な批評が必要。


大谷…espressoという雑誌を作ったときに「いったいわたしたちは何を見て/聞いて批評しているのか。それはレコードか?テレビか?生演奏か?」という疑問があった。それと同時に「音楽経験は極めてパーソナルなものである」という言説もあり、それがいわゆる「印象批評」につながる。「印象批評」のおもしろさは、言葉自体の面白さ。それの対概念である「形式批評」は、むしろその言葉の「構造」を問題とする。


野々村…音楽批評の言説上、アルバムが作品である、とされたのはビートルズの『サージェント・ペパーズ』を嚆矢とする。ジャズでいえば、エレクトリック・マイルスの作品群もそのように扱われている。ここにはテクスチャとストラクチャ、音響と音韻という問題にも繋がる要素が現れている。


岸野…20世紀中は『CDジャーナル』という雑誌があり、日本国内でその月に発売される全てのCDを紹介していた/紹介できた(全ての作品に紹介文があった)。インディーズ作品にかんしては『インディーズ・イシュー』という雑誌があったが、21世紀の現在、日本国内でその月に発売される全てのタイトルを網羅できる雑誌は無くなってしまった。そのような状況を認識する必要がある。


パーソナルな音楽史と、パブリックな音楽史があるとして、現在の歴史軸上ではアルバム=作品という観念が崩れつつある。その理由としてはiPodを始めとする音声ファイル再生メディアの登場があり、音楽をアルバム単位で楽しむという傾向が崩壊し始めている。極めて近代主義的なアルバム=作品という、形式批評にも繋がるコンセプトが曖昧になりつつあり、現在ある批評の力も弱まっている。ウェブ上ではブログを通じて、一般のリスナーが書く「印象批評」がおびただしい量存在している。

  • 音楽/音楽批評が貴くなくなってくる

野々村・・・音楽作品(録音物)が一生の間に全部聞けないことは今に始まったことではない。日本国内においては、1930年代に完成した国民総動員システムが、戦後も引き続き産業社会に引き継がれ、均質化された聴取スタイルの確立に影響を与えた。

岸野・・・米国では町町にレコード会社があり、日本とは異なった音楽文化が存在してきた。わたしたちは、何をよりしろにして音楽を聴くのか。エージェント(行為体)を必要としている。エージェントは以下のように変遷した。

1970年代 音楽批評誌
1980年代 ディスクガイド(書籍)
1990年代 『bounce』(タワーレコード発行のフリーマガジン)、インターネット
2000年代 インターネット(Last.fm etc...)

  • 全てを知ることはできない
  • 確たる主体は無い
  • モザイクを成形する為にエージェントが必要。
  • 何が必要なものかわからない
  • 商品化された音楽の為に、「全部」聴けないことがはっきりしてきた

CD Christmas Party 冠婚葬祭

  • 何故CDを聞いていたのだろう?「作品」という概念を疑いつつ「つくりたい」という創作の動機は重要。
  • 作品と主体
  • 音楽
    • 演奏される音楽
    • 録音物
    • 同時代で語ること/語らないことの重要性
    • レコード文化(LPジャケット etc)の重要性
  • 欲望

岸野・・・15年位前までは真夜中に突然アイスクリームが食べたくなっても、夜が明けて、店が開くのを待たなければならなかったが、今ではそこらじゅうにコンビニがあるので我慢するということをだいぶしなくて良くなった。その為に欲望/渇望といった気持ちが減退しているのではないのか。音楽に関しても同様のことが言えるのではないか。

  • 課題 

今から10年前の音楽雑誌を買って読むこと。その感想を書いて提出

  • 1971年の洋楽雑誌
    • ミュージックライフ シカゴ・イン・トーキョー・・・Chicagoというバンドがあった/あるんだよという話

グランド・ファンク・レイルロードが表紙⇒かっこいい外人タレントという扱い(10万部)
ジョン・マクラフリンポスターが付録。

    • ロックマガジン・・・マリー・ウィルソンについて取り上げている(500部)
  • 過去の捉えにくさ
    • 「HEAVEN」という雑誌があって、書店では「POPEYE」と一緒に並んでいたということはテクスト/ジャーナルとしてしか残っていない。
    • 記憶をキープする必要⇒欲望の持続
    • 検索文化(「Google」文化)・・・キーワードを知らなければ、検索できない
  • 今の話
    • 10/11付けのオリコンチャート 1位はスマップの「ありがとう」他にリュ・シオン、三日月、後藤真希ポルノグラフィティなどがベスト10入り。初動1万2千枚で10位にランクイン、初動2万枚でベスト5に入る。
    • 個人のリスニング史しか知らない
    • ヒットチャートの話ができない⇒共通の話題にならない
    • 自分の好きな音楽の話を友人や同僚としない⇒blogには書く
    • 発売日にマニア/ファンが買う・他の人は買わない