ウォルター・ベル監督 / MIXTAPE



ドキュメンタリーにしては構成が甘いように感じた。問題意識は優れているが、観客に訴えかけるには作品構成の明解さが重要だろう。
本作はヒップホップ文化、とりわけラップ音楽の隆盛と発展には、ヒップホップDJが既存の音源を独自の手法で編集したミックステープが貢献したことに着目し、そのヒップホップDJとミックステープがメジャーレコード会社の宣伝活動に利用されつつあることを指摘する。インタビューされている当事者たちには、あまり危機感が無さそうで、ストリートから生まれたラップ音楽、そしてミックステープ文化はどれだけ抑圧されたとしても、生き延びるだろう、と楽観的に語る。彼らのバックには米国黒人社会やマフィアが存在するのは言うまでもない。支配的なアングロ・サクソンが踏み込めないような米国黒人社会の暗部があるのかと妄想させる。

ミックステープは著作権の観点からも問題になっており、ミックステープ販売者が訴えられたりもしている。これはRIAA(全米レコード協会)主導の動きだが、レコード会社は新人アーティストや新曲のプロモおよび市場調査の一貫として、著作権のある音源を著名なDJに渡すのが一般的になりつつあり、それらが使用されたミックステープの売れ行きを商売の判断材料としている(例としてデフ・ジャム・レコードの副社長がインタビューに応じていた)。このことから、RIAAとレコード会社の足並みは揃っていないことが伺える。

 観て思ったのは、日本と米国の大衆音楽産業構造の差異で、この作品から日本の音楽産業における著作権問題への比較を行うことは難しいということ。とりわけ本作はラップ音楽に焦点を絞っており、日本にはヒップホップに比肩し得るようなストリート文化が無いことからも、米国における著作権問題のひとつを紹介するに止まるような気がする。映画の宣伝ちらしにはピーター・バラカンが「音楽を作る人、聴く人、売る人がそれぞれどんな権利を持っているか。このことについてぼくは非常に興味を持っているのですが、「MIXTAPE」にはそれを考える上で参考になる話がかならありそうです」とコメントしているが、全くその通りでこの映画は日本人にとって、さして切実なものが無く「参考」として受容されるのが限界だろう。ヒップホップ文化とラップ音楽を愛する人々にとっては、この限りで無いのかもしれない。