映画美学校/音楽美学講座/クリティック&ヒストリーコース初等科講義(聴講)@京橋・映画美学校



講師:副島輝人


本日のテーマ:フリージャズと1960年代


事務局の許可を得て聴講。『日本フリージャズ史』(青土社)で知られる副島輝人さんによる講義。たいへん面白かった。時代状況と諸芸術がどのように影響しあうか、という大きな話から、日本と海外の同時性についての話、ひとつひとつの楽曲解説まで、懐の深さと繊細さや鋭さを併せ持った塩梅でたいへん感銘を受けた。副島さんは音楽に己が人生を賭け続けてこられたからだろうか、話を伺っているうちに声高ではないけれど確かな誇りが感じられた。まぶしかった。 フリージャズを語るにあたって、その有機的な背景/前提として、60年代の新宿文化が氏の体験として語られたのが印象に残った。いわゆるアングラカルチャーに心から揺さぶられ、感銘を受けてはその感情や衝撃を生きる糧に変え、ご自身もジャズマンたちがプレイする場を作るため一所懸命でいらしたようだ。芯のある生き様は誰の心も打つものだとしみじみ感じた次第。


副島さんは現場のひとである。むろん氏に対する評価に異論があってよいのだが、決して高みに上って話をされなかったので、その礼儀正しさをわたしは好ましく思う。激しい生き方をしているひとほど、実は礼儀正しいのではないか。激しさとは外に顕れるものも、内にたぎるものも共にある。だから簡単にひとの激しさは分からない。そして激しさや礼儀という概念や様式は変わり行く。 論理や分析と情念や感覚が入り交じって立ちあらわれる感覚を保ち続けるのは、厳しい生き方である。快不快をなるべくフラットにしてしまう現代の価値観や生き方については常に反省が加えられるべきなのだろうが、ニヒリズム相対主義が漫然とその威をふるっているから、わたしたちは、どうしても自己の感情を抑えて生きてしまう傾向がある。


喜怒哀楽を失調する鬱的なバイブレーションの伝播は、村上龍が指摘するように、経済的に成熟した日本の、成長という信仰の喪失、そして新たな国民的目標が見出だしづらくなったゆえかも分からないが、わたしが思うに1990年代の世間に溢れた鬱病的心性は2000年代に入って鬱的常態として、完全に生活に定着した。これはわたしの心情/信条的な判断で、客観的なエビデンスなど提示できないが、経済発展に行き詰まりを迎えた先進国、日本の東京圏で生まれ育ち、都市部と郊外を行ったり来たりして生活している若者に、あるていど共通して見出せる要素なのではないだろうか。など、というような観念的なモードに入りながら帰路に着く。「賭金を置け」と励まされたような講義だったので、詳細は改めて書く(予定)。