小室哲哉をふりかえる その1/2(1993年〜1996年)



この度の一件で「小室哲哉の音楽を初めて意識して聞いたのはいつだろう」と思い返してみたのだが、おそらく1993年である。この年の3月に当時12歳のわたしは小学校卒業のお祝いでCDラジカセを手に入れた。当初はNHKの英会話番組を聴いたり、ゲームミュージックのCDを聴いていたのだが、次第に、音楽番組を頻繁にエアチェックするようになる。テレビの深夜放送もたまに観たりはしたのだが、わたしの実家は今も昔もリビングに一台テレビがあるだけで、家族に気兼ねして夜中観る事はなかなかできなかった。ラジカセなら自分の部屋でアンテナを延ばして、イヤホンをすれば聴けるのだから気楽なものである。夜中布団に入ったまま聴く事だって簡単だ。


trf「BOY MEETS GIRL」は1994年の初夏から夏にかけて大ヒットしたが、わたしにとっては前年の「EZ DO DANCE」や「寒い夜だから」が印象的だった。わたしは中学1年生になった1993年、J-POPを聴き倒していた。当時は聴き倒すということばはなかったから、聴きまくっていた、というところだろうか。埼玉県のローカルFM局、NACK5が毎週日曜日に「TOP100」番組をやっており、それを120分、160分といった長尺のカセットテープに録音しては、一週間繰り返し聴いていたのである。よく飽きなかったなと思う。しかし「EZ DO DANCE」のなんといってもシンセの下世話なこと!このサウンドには当時「品が無いなあ」とつくづく思ったことを覚えている。しかし品が無いということはすなわち下世話さに通じ、記憶に残ってしまうのである。むろん単に品が無いだけではないのは言うまでも無いが。



  • trf/BOY MEETS GIRL(1994年6月22日 発売)




1994年からとある理由でYMOを聴き始めるので、J-POPに対しての情熱がだいぶ冷めてしまうのだが、1993年当時、約80人の中学の同級生のうち、YMOを知っている友人は2人しかいなかった。そのうちの1人が隣町に住んでいたTくんだった。Tくん自身は小室の熱烈なファンというわけではないが、お兄さんがYMOTMNをよく聴いており「小室は今作っている曲より、TMNの頃のほうがいい曲が多いから聴いてみなよ」などと編集テープを作ってくれたことを覚えている。Tくんの家に遊びに行くと、だいたいいつもふたりでスーパーファミコンの「ストリートファイターII ターボ」をプレイしていた。「ストII」はあまりの人気にアニメ映画化もされて、その主題歌を歌っていたのが、篠原涼子である。映画はゲーム人気とは裏腹にあまりヒットしなかったように記憶している。




小室の功罪はいろいろあるが、彼の女声に対する趣味の悪さはその罪のうちのひとつだろう。篠原も、華原朋美も、globeのKEIKO(当時)も、若い女性が喉を締めて、カラオケで高音をがなりたてる傾向に加担したわけで、結果論とはいえ、罪が無いとは言えない。喉締め高音発声については、おそらく小室ひとりを責めるわけにいかないのだが、昨今のアイドルにも受け継がれるJ-POP独特の発声と思われ、その起源がどこにあるのかは実に興味深い。小室自身が、カラオケで歌われることを意識して譜割と音程を決めていたというのは有名な話であるし、おそらく本人もそういった発言をしていたに違いないが、いまその真偽を論証するのは難しい。しかし、いずれにしても罪深いことである。なぜなら彼はその音楽を通じ、「美しい声」「きれいな声」の基準をひどく歪ませてしまったからだ。むろん「美しい声」「きれいな声」の定義は難しいのだが。


今回はそんな醜悪かつキャッチーな曲のなかでも華原朋美の大ヒット曲である「I'm proud」で締めくくろう。曲の構成はA→B→A→B→A→A'というやや変則的なもので、最後のAメロからA'への転調が極めて汚らしい(いわゆる)小室節である。しかし、この階段のように上ったり降りたりする高音メロディを歌いこなすカラオケでのトレーニング感・ゲーム感が当時の若い女子(中高生だろう)に麻薬的に受けたのも実によくわかるのだ。なぜわかるのか、と言われても論証するのは難しいのだが。'90年代の鬱的な世間における下世話さを、音楽から解き明かすためのキーパーソンのひとりが、小室哲哉その人であることは明らかだ。