ウツボティーク・インタビュー・シリーズ vol.3:宮崎貴士(シンガーソングライター/図書館)に訊く



図書館の新世界 


 バンド名が図書館、というのはなかなか人を食っている。昔からおかしなバンド名というのはたくさんある。英語を解する者にとって響きだけ聞けば、ビートルズ(Beatles)は、最初、ごきぶりーず(beetles)だった。わが国で2008年から2009年にかけて『ハイファイ新書』や『シフォン主義』といったアルバム作品で注目された、相対性理論のメンバーは、かつて進行方向別通行区分という名前のバンドをやっていた。交通用語をグループ名につけるのはかなりおかしなセンスである。単純に奇を衒っているとも捉えられるし、インテリならではの韜晦とも考えられる。このようにバンドの名前ひとつをとってもいろいろあるものだ。
音楽にことばを乗せ、聴き手によろこびやかなしみを奥深く伝えようとする楽団であれば、いわゆる言霊のちからをおろそかにはできない。バンド名も、彼らが奏でる音楽の第一の態度表明といっていい。なまえから音楽がきこえてくる、そんなことは十も承知のベテランミュージシャンたち(田中亜矢、近藤研二、イトケン、宮崎貴士)が名づけたグループ名が、図書館とはいったいなにを意図しているのだろうか。インターネット時代をはぐらかすための命名だろうか(図書館というキーワードでgoogle検索したら大変なことになる。すくなくとも図書館という日本語を用いている世界中のホームページがサーチされるのだから)。そんな疑問を持って、図書館の鍵盤楽器を担当するシンガーソングライターの宮崎貴士にインタビューを試みた。



 宮崎によれば、このバンドの構想自体はすでに2007年初頭にあり、彼がイトケンに新しいバンドの結成を呼びかけることがきっかけで生まれた。しかしながら、翌2008年春頃まで、アルバムの制作は決まらなかったという。
曰く「誰かが欠けても無理なのは、自分が音楽能力を特化させていることからも明白でしてね。 録音に関しても実質プロデューサーは近藤さんです。でも歌の中心は当然、田中さん、曲の中心も田中さんです。 が、その楽曲を作っているのはおいらや足立さん。リズムアイデアはすべてイトケンさん。つまり、それぞれがバンド内で自分が奉仕できる担当をそれぞれが自覚して関わっているんです。バンドをイメージして言語化して組み立てているのは自分ですが、それはただのコンセプトですから。 内実は全員が組み立てているんです」とのこと。熟達した演奏スキルがありながら、楽団としての一体感のある健やかで伸びやかな演奏が魅力的に聞こえる秘密は、メンバー各人の個人作業(夜なべの編み物的緊張感)と、現代的なテクノロジー(ハードディスク録音やインターネットを通じた音楽データの授受)のアンサンブルにあるのだろう。



 名うてのメンバーたちのスキルフルな音楽が編集されてアーカイブされているという点では、このバンドは世界に溢れるさまざまな素敵な音とことばをひそやかに(しかし内心貪欲に)その書架にひとつずつ並べていこうとしているのかもしれない。そういった点からそのなまえをリスナーひとりひとりがとらえなおすのも面白そうだ。
最後に。すでに彼らのアルバムについては媒体を問わずにいくつかレビューが出ているが、それを読んでわたしが不満なのは、図書館の第五のメンバーとでも言える作詞担当の足立守正に対する言及があまり見受けられないことだ。漫画批評の分野でも活躍する彼の詩情は図書館の音楽にそこはかとない温もりと、あえかな陰りを与えている。むろん、その魅力をつまびらかにすることはけっしてたやすくはない。おそらく多くのレビュワーにとって、紙幅が許さず、また足立の歌詞のクオリティに拮抗しうる、もしくはそれを超える批評を打ち立てるのがむつかしいから、あえて触れられないでいるのだろう。だからこそ、わたしはその歌詞分析を試みようと思ったが、力及ばず、グループ名にかんする考察のみで本稿では力尽きてしまった。



 ファーストアルバム『図書館の新世界』におけるキーワードはそれこそいろいろある。交響曲第9番ドヴォルザーク)にこっそり目配せしている「今日の終わり」(作詞・作曲は田中亜矢)にはあきらかに足立の生霊(いきすだま)がそっと歩み寄っている。そのようにいうと、いささか文学的なロマンチシズムに誤解されるのかもしれないが、強度を湛えたしなやかな音楽グループであればこそ、メンバー同士が無意識に交し合う影響が顕著なわけで(それは音としてごつごつと響くわけではない)、図書館もその例に漏れないのである。



取材協力:宮崎貴士

(本文一部敬称略)