高橋昌一郎『東大生の論理―「理性」をめぐる教室』の感想の前に―1たす1ができなかった。‏

東大生の論理― 「理性」をめぐる教室


 自分自身の経験からことばを紡ごう。わたしはかつて1たす1ができなかった。このように口にすると、きっと大方の人には理解されないか、嘲笑されるだけだと思って、1たす1ができなかったことを30歳になる今日までひたすら隠してきた。しかし、わたしは『東大生の論理』を読んで、そのことをまず言わなければまったくわたしの感想を述べられないと考えたり感じたりしたのである。むろん、考えと感じのどちらが先立つのか判然としないことを書き添えておく。
 わたしは1たす1ができなかった。1たす1が分からなかったのである。こう書くと「いったい何のこと?」と思われる方もいらっしゃるだろうから、すこし細かく述べていきたい。  
 まず1とは何か、ということからはじまる。1とは1である。然り。つまり1とは1と見なされるところの何かであり、これは記号である。記号というのはある一定の秩序、ルールに従って判読される。いまあなたが読んでいるこの文章も、日本語で書かれていて、そのコードを意識することも無く、しかし実は意識しながら読んでいるのである。たとえば qefeth/:poj\]-9]@ という文字列はまったく意味が分からない。これはさしあたり何語でもないから、である。でたらめに打った記号の羅列であることは分かるが、これが意味するところはわたしたちの習慣的な意味においては分からないので、無意味と見なされるのである。


 というわけで、わたしは1の意味するところが分からなかった。小学校の授業では、1という数字をイメージしやすいように、たとえば黒板にリンゴの絵を描いて、それがひとつのリンゴである、という認識と、1という数字を対応させて、児童に1という概念を把握させる。しかし、わたしはここからもうよく分からなくて、このリンゴをじっさいに足すことはできるのか、と考え始めてしまうのである。つまり、1+1という数式があった場合、この1と1を足すことではなく、具体的なひとつのリンゴとひとつのリンゴを足すことのほうへ考えが逸れていってしまうのである。
 ひとつのリンゴとひとつのリンゴを足すということはどういうことか。ここでリンゴをそれぞれ、リンゴAとリンゴBとしてみると、リンゴAはほかのどのリンゴ(さしあたりリンゴB)とかかわりなく独立に存在するところのリンゴAである。リンゴBも同様に、独立に存在するところのリンゴBである。するとこれらのリンゴはそれぞれ独立して存在しているわけだから、足せない。足すというのは、リンゴAとリンゴBを等しく見なさねばならない=1としてあつかうという、このごく当たり前のことが分かっていなかったので、わたしは、たちまち算数が嫌いになった。もう少し厳密にいうと、足し算も引き算もできなかったのである。


 驚かないでほしい。たとえば 4+4 という数式がある。これは 4-4 とどう違うのか。もちろん+と-という指示が異なるのである。だから4+4=8 で 4-4=0 であるというのが正解である。ところがわたしは小学生のころ、4+4=0 とか 4-4=8 とか平気でやっていたのである。これは今だからこそ笑えるが、かなりの重症で、+や- というルールが分からないし、分からない以上、守る気もないのである。わたしがテストの答案を家に持って帰ると、いつしか母の顔は青ざめるようになったであろう。そして、やがて母は父に相談した。
 わたしの父は東京都の小学校に長く勤め、還暦を過ぎたいまも都の非常勤教員としてはたらきながら、休日はボランティアで日本語教師をしている。さすがに父も、いや教員である父だからこそ、わたしの重症ぶりに強い危機感を覚えたらしい。たちまち手作りの―つまり、これは父が実際にその教室で使っていたプリントだろう―大量の練習問題が、長文の手紙を添えてわたしに手渡された。そこに書いてある文言は今でも大意を覚えていて、「かずひこへ きみがさんすうのべんきょうができないというのはほんとうですか?(中略)まいにちぷりんと1まいずつもんだいをときなさい。そしておわったらおかあさんにまるをつけてもらいなさい」というものだ。実際わたしは算数の約束を文字通り、からだに叩き込まれたのである。学校から帰って、計算問題を泣きながら解いたことを今でも覚えている。だから、これは世間でいえば計算が苦手ということになるのだろうが、実は苦手どころの話ではなくて、まったく分かっていなかったし、いや、分からなかったし、おそらく加減乗除の約束など実はどうでもいいと思っていたのである。なぜなら、分からないからである(ここでどうしても理解に苦しむ方もおられると思うが、そういうものだったのだ、としか言いようがない)。
 小学二年生になると、掛け算九九を覚えたが、たとえばわたしは数の理屈が分かっていないので、7x3=21 とか 7x4=21 などとやっていた。これはいま考えると、音で覚えているのである。たしかに九九は理屈というよりは音で覚えるものではあるが、たしかに、いま、わたしが小学二年生になってみると―オカルティックな言い方だが、これまたそうなってみる、としか言いようがない―にじゅういち(Niju-ichi)とにじゅうはち(Niju-hachi)は音が似ている。ichi と hachi は前の子音(i と ha)が違うだけで、あとのうしろの音は同じである。あとは 7x4=28 とか 4x7=21 というのもやった。これも完全に音であいまいに覚えている手合いで、7x4 や 4x7 というルールをまったく受け入れていないのである。わがままというか、やや頭がおかしいというか、まあそういう感じである。ここから分かるのは、わたしはいまもむかしも何かをただ暗記するのではなく、自分のことばで考えて、腑に落ちるまでは一切納得しないというそのかたくなさである。


 これは本当の話で、むろん本当の話といっても人間の記憶というのは編集=美化改竄が加えられるのが常だから、どうしようもないが、しかしもし美化したとして、こんなでたらめな話があるだろうか?おそらくこんなでたらめな話が美化した結果だとしたら、かつてわたしがいったいぜんたいどんなにものすごい阿呆だったのか、想像がつかないだろう。わたしもまったく想像がつかない。というか、もしそうだったらいまここでこういった文章を書けていたかどうかさえおぼつかないと思う。したがって、これは本当の話なのである。事実は小説より奇なりというが、わたしの体験・経験、それを事実と見なすのであれば、かなり変てこな話がたくさんある。ただこの話は、『東大生の論理』の感想の前書きとしてこのへんにしておく。