随筆

暴力をはらむ生

もうすぐ昨年に生まれた姪が1歳になる。このことはとてもめでたいことだと感じる一方で、わたしは人間が存在するということそのものが極めて暴力的な現象なのではないかと考えている。人間が生きる上で、何か他の生命を奪って口にするということも暴力的では…

高橋昌一郎『東大生の論理―「理性」をめぐる教室』の感想の前に―1たす1ができなかった。‏

自分自身の経験からことばを紡ごう。わたしはかつて1たす1ができなかった。このように口にすると、きっと大方の人には理解されないか、嘲笑されるだけだと思って、1たす1ができなかったことを30歳になる今日までひたすら隠してきた。しかし、わたしは『東大…

フライヤーを、ビルボードへ―想い出のフライヤー展(id:flyer-info)開催によせて

文学フリマに出品しているものとしては、アンビバレントな気分になるのですが、掲題のフライヤー展が本日最終日です。梯子してくださるとうれしい。ってもっと前に言えって感じですが。 フライヤー展に寄せてわたしが書いた随筆を公開します。これ読んで「い…

高橋昌一郎『理性の限界』から読まれるわたし―本当は身近にある理性について、あるいは弄弁的自己批判

2010年の冬も本番。ところは、都下世田谷区のとある公園近くのアパートの一室。サリーちゃんのパパとウランちゃんがミックスされたようなすさまじい寝癖をなおさずに、寝巻きのままでだらしなく電気カーペットの上に寝そべっている男が本を読んでいる。会社…