雨 22:45-23:14

自分のことを振り返ってみるのに、ノートに直接ペンで文字を書くというのはすこぶる新鮮だ。会社に入ってから、ノートにペンで文字を書くことが極端に少なくなった*1
京橋にあった映画美学校(現在は渋谷に移転)に通い始めたのは、就職したその年だっただろうか。美学校の講義でたくさんペンでノートを取り、それをまとめてブログにアップしたりもしていた。それを大谷能生さんに誉められたのも今となってはいい思い出だ。
今は、坂本龍一と立派な仕事をされている門松さんが、彼の通っていたペンギン音楽大学(ジャズマン菊地成孔の私塾)の有志と、美学校の有志とでやっていた自主ゼミナールがかつてあって、それが京橋で開かれており、わたしはどちらの生徒でもなかったが、門松さんに誘われて顔を出してみたのだ。その時は、自由にプレゼンしていいということだったので、大学時代に愉しく学んだチューリヒ・ダダ(最初期のダダ「運動」)について紹介をした覚えがある。映画美学校音楽美学講座コーディネーターの岸野雄一さん(本人はスタディストと名乗っている)もそのとき、ゼミの模様を覗きにいらっしゃり、わたしはその時、岸野さんから受けた質問のことを今も思えているが、岸野さんはもう覚えてはおられないだろう。岸野さんの音楽に対する審美眼は鋭く、わたしはいろいろなことを学んだように思うが、元来、記憶力が乏しいわたしには、定着した知識はあまりなかった。しかし、美学校で知り合えた友人たちがいちばんの財産であるというのは、少し気恥ずかしいが、実際のところかもしれない。


最近妻に、自分がいったい何をやりたいのか考えてみるよう言われたので、そのことについて考えてみる。すると、すぐに分かることがある。それは自分自身の臆病さと怠惰さである。たとえば、わたしが小説家になりたいとする。そうであれば、寸暇を惜しんで、小説を執筆し、今ある文藝誌の研究を行い、新人賞の締め切りに合わせて、原稿を送り続けるべきであろう。今は、休職中の身だが、これを仕事の傍ら、黙々と行うのは、決してたやすいことではない。実に松本清張は偉大だったと思わざるを得ない。しかし、たやすいことでないからと言って、挑戦しないのは、おそらく、いや、確かにわたしが失敗を恐れているからだ。

人生における失敗ということを考えたとき、わたしは暗い気持ちになる。わたしはまだ何にも挑戦していないようにさえ思う。それは敗北感が恐ろしいからだ。自分の肥大したプライドを傷つけたくないのだ。何もせず、31歳のサラリーマンになった、なっている、そのこと自体にわたしは嫌気がさしているのだ。つまり、たとえば、わたしの友人の東眞くんのように、人生を文学に賭ける、いや賭け続けているような、そういったある種の無謀さ、それは、見方を少し変えれば勇敢さでもあるが、そういったものにわたしは憧れている。
 しかし、憧れというのは何も生まない片恋のようなもので、それに酔い続けて自分を騙し続けることができれば、それなりに幸せの錯覚に浸ることができるだろう。しかし、わたしは強く生きているという実感がほしいのだ。しかしその実感の為に費やされる労力を考えると尻ごみしてしまう。つまり尻ごみし続けた自分の有様が、今のわたし―うつで休職―につながっていると言えるだろう。ここからどう道を開くべきか。考え、実践し、実践し、考えていくほかは無いことは確かで、それを言うだけなら誰にでもできるたやすいことだ。

*1:この文章は一度紙のノートに書いたものを編集・加筆してからアップロードされている