[雑文]パリのテロのことなど

昨日のパリでのテロは日本人に衝撃を与えた。その少し前にはレバノンでも200人がテロの犠牲になった。しかし、日本人はフランス人には哀悼の意を表しているが、レバノン人にはどうなのか。哀悼を表しているとして、その哀悼の意は適切なのか。

米国のオバマ大統領はパリの事件に対し声明を出し、「パリやフランスだけでなく、人類や共通の価値への攻撃だ」としているが、人類というのはいったいいつから一枚岩になったのだろうか?共通の価値というのは、先進諸国からその他の国々への押し付けになっていないか?少なくともその国その国で独自の価値(観)があるのではないか?それをきちんと尊重できているのか?

このようにわたしたちは世界をより細かな目で見ていく必要がある。パリでテロに遭った被害者の中に、殺人犯など犯罪者がいた可能性がある。その場合、その犯罪者が殺されたことも、非難すべきなのか。それとも犯罪者はテロに遭って殺されても構わないのか。殺された「無垢」の市民という、全体主義的なまとめ方にもぼくは非常に違和感を覚える。シリアの空爆で殺されている人は「無垢」ではないのだろうか?では、「無垢」であったとして、その度合いはパリのフランス人と比較計量可能なのだろうか?

西欧先進国が主導する国際社会の考えと、ISの考えは大きく隔たっている。その考えをより高次なレベルで統合する必要があるのではないだろうか。パリで殺された人とパリで自爆した人、双方の絶望をぼくらは考えるべきではないだろうか。まだあまり考えがまとまっているとは言えないが、ぼくはそういう風に考えている。