井上雄彦「バガボンド」(モーニングKC/講談社)1〜16巻読了。



耳子が彼氏に「おもしろいから読んでみて」と言われて一気に借りてきた。
彼女は「3巻までなんとか読んだけど、もういいや」と言って、紙袋ごと
ぼくの部屋の入り口に置いていった。少女マンガを読んだ後にちょうどよく
口直しできそうだな、などと極めて不遜な気分で読み始めた。ところが…。


井上雄彦は、ぼくが12,3歳の頃から「SLUM DUNK」で、猛烈な人気を誇り
出した作家で、スポーツマンガを好んで読まないぼくは、なんとなく彼の
作品に手を延ばすことも無かった。ただ、ぼくが中学生の頃(1993〜1995年)、
井上の人気は凄まじかった。バスケをやっている男子は必ず「SLUM DUNK」を
読んでいたといっても過言ではないくらいだ。むろん、当時自分が通っていた
中学校の世界しか、ぼくは知らないのだけれど。おそらく井上は日本国内に
おけるバスケットボールの知名度の向上にマンガを通して大変な功績を為した
と思う。NBAも少しずつ世に知られるようになっていたと思うが、それは井上を
含めた大人の好事家に限られていただろうし、おそらく小中学生がナイキの
バスケットボールシューズを血眼で買い揃える様になったのも「SLUM DUNK」の
せいだと思う(笑)。まあぼくはそれを冷ややかに見ていたわけだが(苦笑)。


当時、何度か友人の家で彼の作品に触れ、「なんだかリアルに見える汗を描く
人だな」という奇妙な印象が残った。それはおそらくバスケットボールの試合中の
シーンだと思ったのだけれど、彼の観察眼は、なんとなく昔の自分にも感じ取れた
らしい。その後、井上の作品に触れたのは「リアル」という車椅子バスケのマンガの
連載が始まった頃で、「おお意欲的な作品だな」とは思ったけれど、読みつづける
には至らなかった。幼いころから、雑誌を買いつづけるという習慣がなく、欲しい
マンガであれば単行本で買い揃える癖がずっと続いているのだ。


この「バガボンド」は、実に劇画だ。当り前なんだけど。原作が吉川英治
宮本武蔵」と記してあるし。まあでも、ぼくは時代小説も読まないので、どれだけ
原作に忠実なのかは分からない。そしてそれもおそらく大した問題ではないのだろう。
井上の「バガボンド」は、井上の作品であってそれ以上でもそれ以下でもない。
圧倒的に「うまい」と感じさせる画力と、作者の人間性が感じられるような描線の
ひとつひとつが、ストーリーのおもしろさと相俟ってページを繰る手を次第に早めて
いった。これは確かにおもしろい…。要約すれば武蔵という野性の成長談だ。


巻末のカバー部分にきちんきちんと作者のコメントがついているのだけど、これまた
マジメで実にマジメで生真面目で、作品からも、そして画からも伝わってくるのだけれど、
この人は己の信念のようなものをマンガにぶつけているのだな、と思った。そのような
気迫は確かにすばらしいが、「武蔵」のストーリーも去ることながら少々教訓じみて響く
様にも感じられる。それはおそらくぼくが「信念」も持たずにちゃらちゃらと生きている
からなのだろうな、とも思った(笑)。久々に熱いマンガを読んだように思う。これだけ、
本気が伝わってくる上手なマンガは売れて当然だろう。売れる権利があるとさえ思う(笑)。
ぼくは買わないけど(苦笑)。


テーマもはっきり「生と死」という部分を見据えている感じがして、このマンガに
深さと重みを与えている。「人いかに生くるべきか」というのは、時に、きわめて
切実な問題だ。ただ、なかなか理想通りには行かず、それをごまかしごまかし
生きている者もいるだろうし、また理想や現実ということばから遠く離れて、
なんとなく生きている者も多いだろうと思う。ひょっとしたらそんな人間のひとりや
ふたりの人生を変えてしまうようなパワーがあるかもしれない、とおおげさでなく
思わされた作品だ。ただ、ぼくはそのような強烈なパワーを持った作品がちょっと
苦手なのだ(笑)。昨日読んだ倉多江美の「秋の入り日」みたいな感じがいい(苦笑)。
熱く正しい滋味溢れるエンタテインメントに出会いたければ、ぜひご一読を。