舞城王太郎「世界は密室でできている。」(講談社)読了。

舞城とかいて「まいじょう」と読むらしい。'73年うまれだから、今年30歳。若いなあ。


最初10ページほど読んで、初期の村上龍(「コインロッカー・ベイビーズ」とか・笑)に
似ているかな、と思った。非常に砕けた躁的な文体で、ライトノベルを初めて読んだ者と
しては、これがこの作者(作品)独特の作風なのか、ライトノベルというのはこういう文体で
書かれるものなのか、戸惑いも隠せなかったが(苦笑)ここまで砕けた文体は、どうもかっこ
悪いように思えてならない。読みやすくはあるのだが、マンガを小説化したような感じだ。
作者があえてこういう文体を選んでいる部分は確実にあるのだから、それを考えると、これは
かなりの韜晦具合であるといって差し支えないだろう。冒頭部で微妙に夏目漱石「坊ちゃん」を
パロっているあたりも思わず苦笑を誘った。


最初(パンツ天国の妄想やエキセントリックな姉妹が登場してくるあたり)は、非常に
オタク的な童貞精神溢れる作家だな、と思いながら読んでいたのだが、軽躁的な文体に
慣れるとそれがなかなか心地良くてぐんぐん読めた。オタクっぽい軽いノリでありながら、
どこか知性を感じさせる作風は、作品自体のおもしろみもあるが、こんな作品を書く作者は
いったいどんな人間なんだろう、と珍しくぼくをしばし妄想の世界へ誘う。こういう
感じの作家だったら、ぜったい2ちゃんねるを見てそうだ、とかくだらないことも思う。


ストーリーは名探偵の友人をもつ少年(ホームズでいうところのワトスン博士役)の
目を通して書かれているのだが、これがとくにまっとうなミステリー小説というわけでは
なくて、ミステリーの枠を借りて、描かれたコメディタッチの成長物語であることが
次第に分かってくる。なにしろ主人公2人は最初中学生なのだから。極めつけは名探偵の
友人の両親に主人公の少年が直訴(?)するシーンで、成長する子どもたちと、成長しない
(愚鈍な)大人たちというはっきりとした対比があることからも確かである。


この作品では、基本的に主人公たち以外の登場人物(年上=大人)は、奇妙奇天烈な者
ばかりだ。年齢的には幼い主人公たちが、周囲とのコントラストで異様に大人びて見える
という点はまさしく冒険小説。作品の最後では作者の視点での微妙なつっこみが入りつつも
見事に青春して、アイデン&ティティな感じが微笑ましい。こういう作品自体をはぐらかす
つっこみの多い作風というのは、実にマンガ的な表現からのフィードバック(シリアスな
文学は作品内に照れの表現を持ち込まない・笑)を感じるし、かつオタク的でもあると感じる
のだが、そういうものであるとして読むならばきっとそれなりの感動を呼び起こすのだろう。




涼ちゃんは落ちて死んだ。十九歳で。
今、僕もまだ十九歳だ。ルンババもすぐに十九歳になろうとしている。
でも僕もルンババも今日は死なない!
僕もルンババも二十歳になるんだ!二十一歳になるんだ!一緒に三十歳四十歳になるんだ!


(作品のハイライト・205ページより)


このセリフはひょっとしたら作者の作者自身への、同時に読者へのアイロニー
なのかも、と思った部分だ。こうやって俺は年をとってやるぜ!大人になってやるぜ!
という覚悟なしに、ぼくはぼんやりと生きてきたし、今でもそうだと思う(苦笑)。
多くの読者がここを読んで「うわ小説だあ!」とつっこむ部分に違いない(この小説は
読者からのつっこみを前提として書かれたのかもしれないとさえ思える・笑)のだが、
今、リアルタイムで適度に悶々とした中学生だったり、適度に悶々とした高校生
だったりがこの作品の読者にもっともふさわしいかもしれない、と思った。彼らが
この作品を果たして啓蒙小説として受容するかどうかは、いささか疑問なのだけど。