デヴィッド・トゥープ 細野晴臣 トーク&リーディング ‘Exotica'@青山スパイラルカフェ
EXOTICA:ALTERATIVE WAY OF LIFE
デヴィッド・トゥープ細野晴臣 トーク&リーディング ‘Exotica'
at 青山スパイラルカフェ(2000.6.15)
司会:ピーター・バラカン出演:デヴィッド・トゥープ 細野晴臣
デヴィッド・トゥープ David Toop (音楽家・音楽評論家)
1949年、連合王国はミドルセックスのエンフィールド生まれ。ブライアン・イーノ (Brian Eno)
が1975年に設立したオブスキュア・レーベルから
マックス・イーストレイ (Max Eastley)
とのアルバム「ニュー・アンド・リディスカヴァード・ミュージカル・インストゥルメンツ」(OBS4/1975)を
発表しており、自身の手による楽曲(5曲目から7曲目)にはヴォーカルで参加している。
同アルバムは「新しい楽器と再発見された楽器」というタイトルで日本発売もされた。
(司会) ピーター・バラカン Peter Barakan (ブロードキャスター)
プロフィールなどは氏のHP[Peter
Barakan's KITCHEN SINK] でどうぞ。[music.tokyo-city.co.jp]ではコラム「MUSIC捜査線」が読める。
前編
午後8時40分過ぎ、スパイラルビル1F入口に到着。中は人。ヒトヒトヒト。
間違えて当日券の列に並んでしまう。暑い。とにかく暑い。人いきれで辺りが蒸している。
カフェの入り口でVirgin
Colaを貰う。Virginってレコード会社の?なんかややこしいんだよね、たしか。売却とかで。V2レコードっていうのもあったり。
会場は思ったより広い。正面にスタンド式のスピーカーが2台あり、ノイジーで挑発的なアンビエントを生んでいる。
9時過ぎ。まず主催のブリティッシュ・カウンシルの方が、ピーター・バラカン氏を呼び入れる。続いて氏がトゥープ氏とわれらがハリーを
紹介する。拍手。
まず来春日本語訳が出版される「Exotica」の中から、トゥープ氏によるリーディング。
エキゾティシズムを描く、豊潤なイメージを持った詩的なフレーズが、想像力をかきたてる。
silence,gentle,wildness,
violence・・・アンビエントだ。バックで流れる音楽も素晴らしい。
ピーター(以下Pと略)「エキゾティック・ミュージックとの出会いは?」
デヴィッド(以下Dと略)「YMOのマーティン・デニーのカバー(ごぞんじファイア・クラッカー)をきっかけに、60年代の面白いイージー・リスニング、
レス・バクスターや、エスキベル、マーティン・デニーのテープをサンフランシスコに住んでいた友達から送ってもらった。」
細野晴臣(以下Hと略)「'75年ぐらい、『トロピカル・ダンディー』を作ってる時、マーティン・デニーを突然思い出したんです、
小さい頃にラジオから流れていたのを聴いていたのを。‘ジャングル・サウンド’っていうイメージがあって。
それで誰か持ってないかって、つてをたどってレコード・マニアを探してね。聴かせてもらった。」
D「『トロピカル・ダンディー』はリリースされた直後に聴いたけど、エキゾティック・ミュージックに興味を持ったのはその細野作品がきっかけです」
P「どうしてエキゾティックな音楽を求めたんだろう?」
H「自分の中から遠い、自分から遠いものを求めたんじゃないでしょうか。ぼく、遠くからきこえてくる音が好きなんですよ。
昔ね、今から40年くらい前ね、当時、当時は省線って言ってけど、今の山手線。夜寝ていると、その電車の走る音がきこえるんだ。
そのとききこえてくるいろんな音がすごく好きだったの」
D「すてきだねえ!」(場内笑う)
個人的に、昼前の静かな電車に乗っていて、きこえてくるあらゆる音がアンビエントだということに気づき、
メンタルな変化を感じた体験があったので、この話にはシンパシーを感じてしまった。
因みにアンビエント・ミュージックを提唱したイーノは事故に遭って入院中のベッドで
友人が見舞いにくれたレコードを、壊れたステレオで聴いていて、スピリチュアルな体験をしたことが、アンビエント・ミュージック
発見のきっかけらしい。
D「子どもの頃、’50年代、ポップスは発展の時代だった。いろんな音楽、ラテンだとか、カントリー、映画音楽、ブロードウェイのミュージカル音楽、
軽いジャズなんかが毎日のようにラジオから流れていて、それがとてもエキゾティックな感じだった。」
H「日本でもそうでしたよ。黒沢明の「のら犬」っていう映画があって、あれ、あれは三船敏郎ですか、三船の若い時。
終戦直後の東京が舞台なんですが、10分ぐらい全くセリフがなくていろんな音楽が流れてくる。それがエキゾティックな感じでとてもよくってね。
演奏は、東京キューバンボーイズかな。で、ここだけの話ですが、それをぼくの『swing slow』という作品で、サンプリングして使ってます。」
D「おばがSP盤をたくさん買ってきてね、そのなかにあったジャズやブルーズを聴き始めたんだ」
H「似てる(笑う)。ぼくもおばが、映画会社の、当時、通訳をやってたのかな。それでSP盤が山のようにあってね、おばの家は向かいにあったから、
毎日のように遊びに行ってはレコードを聞いてた。ところで、ボブ・フォークの『ホーム・キッチン』という作品を知りませんか」
T「知らないなあ」
H「ああ、さすがのトゥープさんも知らないか。本当にね、彼は何でも知ってるんだよ。」
P「ニュー・オーリンズの音楽に興味を持ったのはいつですか?」
H「ドクター・ジョンの『ガンボ』っていう作品を聴いて、それまでラジオを聴いたりして好きだったものが、全部ニュー・オーリンズ(の音楽)
だと分かったの」
D「おばが買ってきたSP盤に、ファッツ・ドミノの作品があって、その時はニュー・オーリンズ(の音楽)と分からなかったけど。
そのあとドクター・ジョンの『GRIS GRIS』という、ヴードゥーの儀式のような音楽を聴いて…これは恐い音楽だった。」
D「高校生の時から、グラフィック・アートをやってたけどつまんないなと思って、’60年代のはじめはトゥワンギーな、シャドウズやヴェンチャーズと
行ったグループの曲をギターでやってた」
H「同じだ(笑う)。’61年〜’62年ぐらい、中学生でバンドやってましたね。」
P「その頃シャドウズは知ってました?日本ではあまり人気なかったから。ヴェンチャーズばっかりで。」
H「もちろん知ってましたよ、シャドウズも好きでした。でもね、当時バンドやっていて、これで食べていこう、食べていくとか
そういうことは全然考えてなかった。音楽でね、食べていけるかなと、思ったのは最近かな…」(場内笑う)
T「小学生の頃、米軍放送をよく聴いていた。ラジオ・ルクセンブルグとかはロックがかかって面白かった。当時BBCは面白くなかった。
あと映画にはとても影響されたね。『七人の侍』を観て、そこで流れていた日本のキューバ音楽みたいなものがすごく面白くって。」
H「映画で思い出したけど、16の時、友達と『用心棒』を見に行って、その音楽がとても奇妙でわくわくしたから、今言ったジャパニーズ・
キューバン・ルンバというのかな、その音楽を覚えようとして6回映画館に観に行ったの、そしたらサントラが出た」(場内笑う)
T「映画と言えば、ヌーヴェル・バーグの、たとえばフェリー二の映画音楽なんかもすごく面白いんだけど、一番最初に買ったレコードは
『ローハイドのテーマ』」
H「ぼくも買った(笑う)」
P「何か違うことないの?!」(場内笑う)
ちがう国に生まれたにもかかわらず、トゥープ氏とハリーの共通点の多さがしだいにわかりはじめ
オーディエンスも、当のお二方、司会のバラカンさんも
おかしくなってて笑ってしまった。この後オブスキュアからのトゥープ氏の作品
「ニュー・アンド・リディスカヴァード・ミュージカル・インストゥルメンツ」
についてにも話が及んだり、エキゾチシズム、エキゾティックミュージックの持つ魅力の本質へと
話はコアな方向へ向かった。
後編
トゥープ氏のアンビエントな「Exotica」のリーディング〜お二人のエキゾティック・ミュージックとの出会い〜
ニュー・オーリンズの音楽との出会い〜映画のもつエキゾチシズム(レポート前編)と、いろいろな話題を経て、
話は音楽のもつエキゾティシズムの魅力とは何か、という佳境へ入っていく。
D「何か人を変えちゃう、エキゾティック・ミュージックには自分を変えてしまう力があって、それで意識の変成を
目的とする音楽、宗教音楽とかシャーマニズムの儀式とかそういうものにだんだん興味を持っていった。
D「西部劇を見てて、惹かれるのも、カウボーイじゃなくてインディアンなんだ。
インディアンのもつ何かシャーマニスティックな部分に惹かれるんだ。細野さんは?」
H「同じだ。残念ながら同じ(笑う)。西部劇と言えば日本では有名なセリフがあるんだけど、『白人嘘つく、
インディアン嘘つかない』っていうの。あれは本当だね、正しいセリフを言っているのは、インディアン」
P「それは・・・正義ってことですよね。子供は直感で見抜くから」
H「ぼくは、白人は悪いと思ってます」(場内笑う)
T「んー、たぶんね。」
D「いつか熱帯雨林の中で自分で録りたいと思っている音があって、ベネズエラのアノマミ族のいやしの儀式
を録音しに行きました。彼らはある種の幻覚剤を、吹き矢で鼻に吹き入れて、意識を変成させて儀式をする
わけですが、それを座りながらマイクロフォンで録音しているのは今までで一番衝撃的な体験でした。」
H「それは(ブライアン・イーノの)オブスキュアで出したレコードですか?」
D「違います。それは’74年頃ですか、ぼくは自分で小冊子を発行していて、
その頃ブライアン・イーノに出会ったんです。それでよく彼のアパートへ出かけていって音楽について話しました。
それで彼に誘われてマックス・イーストレイと作ったアルバムです。」
H「それが日本で出たのはちょうどYMOの直前ぐらいだったんだけど、何だこれ、と思って恐くて聴けなかった」
D「エイドリアン・シャーウッドというレゲエ・プロデューサーがいるんですが、彼がアマゾネス(南米のインディアン)
のレコードをアパートメントの自分の部屋で大きなヴォリュームでかけていたんだって、下の階の部屋の人
が、嫌いだったから、恐がらせようと思って。」(場内笑い)
H「オブスキュアからは10枚(レコードが)出てたっけ?
当時ポップミュージックのフィールドで音楽をやっている人はああいうものを誰も理解できなかった。
ああいうものを認識する感覚がなかった。
ぼくはね、(ブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックを)横尾忠則さんに教えてもらったの。
でね、ぼくの友達の坂本(龍一)くんというひとが、これは彼に許可を取ってあるから言うんだけど、
彼はこれを聴いて、『イーノのレコードは終った』って言ったの」(場内大笑い)
D「細野さんはそんなポップミュージックのファンでポップミュージックのフィールドで活動していて、
H「勝手知らぬものを求めていく、新しいものを探していくというかね。’70年代の中盤から終わりごろ、アメリカの
ポップスがもっていた‘なにかあたらしいもの’が失われた時期があったと思うんです。企業のあり方が変わっ
てね、(音楽界も)大企業の時代になった。そんな時ドイツのクラフトワークとか、コニー・プランクとか、
そういう音楽に新しいものを見つけた。」
D「エキゾティシズムって知らないものを求めるってことがあると思う。
’84年頃ヒップホップの調査研究をしていて、アフリカ・バンバータにインタビューしたんだけど、
当時、彼はクラフトワークとかYMO、ゲイリー・ニューマンとかを聴いていた。」
H「ぼくも、(アフリカ・バンバータから)影響受けましたよ」
P「そういうところで、もう新しいことが起きてるね」
D「’67年頃からインドの音楽とか、日本の雅楽とかを聴いていくようになるんだ。最初は興味本位のところか
ら始まるんだけど、次第にそこにある文化的なものに興味をもつようになる」
H「そうだな、ぼくはインドというよりも、むしろその周辺の東南アジアとか、ハワイの中のアジアといったものに
楽しみを見出していた。それで、横尾さんに『インドにいこう』って誘われるんだけど、
インドに行ったらエキゾティシズムの核に出会ってしまう、という直感があった。だからインドについてからは
とてもシリアスになってしまって、それまでに貯めこんでいたエキゾティックなものを、全部排泄しちゃったの。
下痢だったんだけど」(場内笑い)
T「音楽を作る人が音楽の裏にある現実に気づいてしまうんだよね、わたしはエキゾチシズムにどうしても
植民地主義の名残を感じてしまったんだけど。後に本を読んで、戦後、日本の芸術家、
武満徹や映画のTakegawa Hiroshi が、表現に関して非常に苦労したということを知ったんだ。」
T「10代のとき、ブルーズを体験したんだけど、ブルーズのレコードを聴いていると、親が嫌がるようなとこ
ろがあって。それもあってブルーズをうたうアフリカン・アメリカン(アメリカの黒人)にも興味を持った。」
P「音楽を聴いていてレイシズム(人種差別)っていうのをぼくはよく感じたんですけど、細野さんはどうだった?」
H「それにはギャップがあるな。音楽を聴いていても別にそれは感じなかった。
確かに当時、日本でもリズム・アンド・ブルーズやブルーズはレイス・ミュージックと呼ばれていたけどね。」
P「ぼくはボブ・マーリィ以降レゲエを聴くようになったんだけど、トゥープさんは?」
T「ぼくはジャマイカが独立(1962)してから、よくクラブに行ってスカを聴いていた。で、スカがニュー・オーリンズの
音楽や、ソウル・ミュージックと深い関係にあることに気づくことになるんだ。」
P「イギリスでは面白い現象があるんだけど、’60年代半ばに現れた最初のスキン・へッズ、
彼らは若い白人のブルーワーカーだったんだけど、彼らはようするにレイシストなの、黒人嫌い。
だけど彼らが好んで聴いていた音楽というのが、その黒人が作っていたスカなんだ。
これは面白い、どうしてなのか分からないんだけど」
(ここら辺からつい身を乗り出して聴いてしまい、記憶があやふやです。)
H「今(まで?)の話を聴いていて思ったんですけど、(トゥープ氏のいう)
音楽の底に流れているものって、心情のアンビエントのことですか?」
(バラカン氏は「Psycological Ambience」、精神的なアンビエンスと訳されていた)
T「そうです」
T「ハリー・スミスというアメリカのルーツミュージックを探求して、その集大成をレコードのボックスセットに
収めた人がいるんだけど、彼が集めた音楽を聴いていても思うことは、音楽のもつエキゾティシズムというのは、
違う生き方の呼びかけ、というか、オルターナティヴ(alternative)な、もう一つの生き方を提示するもの、だと
思います」
この最後の発言がトゥープ氏かバラカン氏のものかどうかあやふやです。
なにしろ興奮してしまってよくおぼえてないんです。
この後オーディエンスから
「過去のことばかり言っているが現在の音楽(産業?)は腐ってるんじゃないのか。将来についてはどう思うか」
「細野さんがインドでの体験を経て変化した部分はあるか」
「サンプリングの多用についてどう思うか」という3つの質問が15分ほどの間になされ、
バラカン氏がインターフェイスとなって、ハリーとトゥープ氏の回答がありましたが、割愛させていただきます。
個人的には今まで自分が感じていた音楽の魅力が明快に言語化されたように感じ、興奮しました。
それからハリーが「今の社会の大きな矛盾や音楽産業が音楽をものとして扱っていることには怒りを感じる。
だけどちからのある音楽は生まれているし、決して音楽は腐っていない」と少し強い語気でおっしゃっていたのが
非常に、印象的でした。ロック画報のはっぴいえんど特集の中にあったセリフ、
「おれは音楽においては誰にも負けない」でしたっけ、あれを連想しました。
「心情のアンビエント」に基づくエキゾティシズムがこれからの音楽にも命を吹き込んでいくだろうと、
勇気づけらました。
※文中の「インディアン」の表記はその意図する意味を文脈上でかんがみ、そのままとしました。アメリカを中心に現在ではNative American(アメリカ原住民)と表記することが多くなっています(Political
Correctだとされる)。トゥープ氏は英語を話されているので、アメリカ黒人について、African American(アフリカ系アメリカ人)と表現さ>れています。
初出:EXOTICA:ALTERATIVE WAY OF LIFE