風街まろんの心の道場 第1回 量り売りの絶望

都下N区、某駅前の松屋のカウンター。

ひたすらスプーンを上げ下げする二人の男達がいる。



ウツボ 「パクパク」

まろん 「ウツボくん」

ウツボ 「パクパク。やっぱうまいですねー。このカレー」

まろん 「そう?わたしの作ったやつのほうが460倍くらいうまいでしょう?そうでしょう?」

ウツボ 「いや12億8千万倍くらいおいしいですよ」

まろん 「なんかミライ(舌の味を感じる器官)がぶっこわれそうな数字だね。世辞ってのも程度問題なのよ」

ウツボ 「(無視して)ところで、お久しぶりです」

まろん 「はいはい、お久しブリテン島

ウツボ 「今日は相談があるんですが、まろんさん」

まろん 「それは何かね?羽海野チカハチミツとクローバー』が手に入らないからどうにかしろと?わたしに?」

ウツボ 「違うんです。ぼく最近むなしいんです」

まろん 「(爆笑)」

ウツボ 「そ…そんなに激しく笑わないでください」

まろん 「うひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ」

ウツボ 「何をしてもむなしいんです」

まろん 「ひひひひひひひひょひょひょひょうひょひょひょ」

ウツボ 「まろんさん、最近はどうですか?」

まろん 「どうもこうもないんだけどね」

ウツボ 「相変わらずですか?」

まろん 「そうね。相変わらず深夜はクリムゾンと優香だよね」

ウツボ 「そ…そうですか」

まろん 「そうなのよ。君は?」

ウツボ 「大友良英ニュージャズクインテットと、松浦亜弥です」

まろん 「相変わらずだねえ。夏ももう終わったってのに」

ウツボ 「すいません。来月4日にスパンクス新譜でるんで、そしたら一気に美しい倦怠感に包まれますんで」

まろん 「そしてその美しい倦怠感に包まれながら、京都で寺を見る、と」

ウツボ 「完璧です」

まろん 「大阪では串焼きにたこ焼きにお好み焼きにどて焼きに」

ウツボ 「食べてばかりです」

まろん 「食べ過ぎないようにな」

ウツボ 「はい」

まろん 「そうねえ、わたしはねえ、前にも書いたようにむなしさってかね、絶望は売るほど持ってる人間なのよ」

ウツボ 「……」

まろん 「『死に至る病』って読んだことある?キルケゴールの」

ウツボ 「一応かじってみました」

まろん 「あそこでキルはなんて言ってるの?」

ウツボ 「要するに、絶望しろと、絶望が足りないと、安っぽい絶望ではいけないと、本当に絶望したら、死ぬことも空しくなるんです、だから深く深く絶望してそれを抱えて生きていくしかないんです、みたいな〜?」

まろん 「まあ、ちょっと違うけどね。死すら絶望ではないちゅうてんのよ」

ウツボ 「キルはあんまり好きじゃないんですよ。あれは要するにキリスト教的なね。でも、有限性の絶望は無限性を欠くことである、とかね、可愛いしいいなあ、と思いますよ」

まろん 「そうかい。わたしはね、サルトルが好きでね。若い頃はよく読んだ。とくに『存在と無』だね。ちょっと引用するよ。最高だよ。


―私は友人ピエールが私に対して友情をもっていることを信じている。私はそのことを真っ正直に信じている。私はそれを信じているのであって、それについて明証を伴った直観をもっているわけではない。なぜなら、この対象そのものは、本性上直観には与えられないからである。私はそれを信じている。言い換えれば、私は信頼的な衝動に身をまかせ、そう信じることを決意し、この決意に留まることを決意する。……信じるとは、自分が信じているということを知ることであり、自分が信じているということを知るとは、もはや信じてないことである。それゆえ、信じるということはもはや信じていないことである―
         


まろん 「どう、こんな感じよ」

ウツボ 「ああ、信じているということは、『信頼的な衝動に身を任せ、そう信じることを決意し、この決意に留まることを決意する』ってことなんですね。ああ、なんて回りくどい(笑)」

まろん 「まあ、回りくどいわな(笑)。でも、どうよ?要するに信じることってのは信じようと努める姿勢に他ならないとサルトルは嘔吐しながら言ってるわけよ」

ウツボ 「まさにその通りだと思いますね」

まろん 「信じることってのは、信じると努めようとすること。これを発見したサルトルってひとはやっぱ賢いわな、と思うのよ」

ウツボ 「そうですね。なんだかむなしいむなしいと、いっていたことがむなしくなってきました」

まろん 「とりあえずわたしたちには音楽があるんだから」

ウツボ 「そうですよね」v
まろん 「ビバークできるのよ」

ウツボ 「心のオエイシスですね」

まろん 「そうよそうよ」

ウツボ 「じゃ、ちょっくら歩きますか?」

まろん 「そうね、あっちのほうにまだ開いてるレコ屋あるから行ってみよう」

ウツボ 「じゃあ、行きましょう」



店を出て、夕闇に消えていく、男2人の背中。

吹く風も秋の装いで、すこし肌寒さを感じさせる電灯のアップでカット。