部屋に唄えば

立石さんの日記を読んでいて、ランボウが云った「Voyant」(見人=賢者)ということばを

思い出した。八木康夫氏はひょっとすると若き日に放蕩の限りを尽くして達見しちゃったのかも、

それで悟ったのかもなどと思うが、まあそれは妄想で、でも生きていくうえで大事なものというのは

なんであるかな、などと考えるのもよいかな、と思ったり。別に暇というわけではないのです、

いや、暇なのです、いや、どちらか分からなくなってきたぞ。うーん自室で卒業論文を書いていて

「呻吟インザルーム!」などと呟いているのは勤労者から見れば、暇人か。肩身の狭い思いがします。

「これがオレの仕事だ」と言えればカッコいいけれども、親がお金を払って、なんとか読めそうな

論文を書くのは、最低限度のマナーのような気もするし。いや、もう文学部なんすから。卒論一大イベントあるよ。



しかし、最近わかったことは、継続的に身体を動かそうと、動かすまいと人間は不安や倦怠からは

なかなか逃げられないということで、集中して卒論を書いているため、頭はものすごいスピードで

回転しているようなのだけど、そして運動もわりと継続しているのだけど、不安や倦怠も当然のようにあり、

しかしそんな頭を裏切るかのように、身体は休息や睡眠を訴え、「いけません!いけませんたら!

お殿様!あーれー」と心の四畳半(風街まろん氏言)で悶えながら、部屋の灯りを消して布団に

もぐりこむときの快感といったらこれは喩えようも無くウッフンです。でもドラえもん、分身ハンマーおくれよ。



要は、久々に12時間も睡眠してしまって、びっくりしたのです。おお、お前はこんなにも求めていたのか。睡眠を・・・。
そうなのハァハァ。もっともっと。アホぬかせ。早よ起きんかいこのボケ(なぜか大阪弁)。